写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

始まりの憂鬱

明日から子供達は新学期になります。

 

今日は日中ずっとイライラ‥

 

明日から学校だっていうのに、宿題は終わってないし、今回は冬休みだからこれしか宿題出てないよ〜って言っていたのに、学校の支度を一緒に確認したらじゃんじゃん出てきたわけです。書き初めやらせようとしたら半紙なくしたとか、課題をやるためのプリントがないだとか。

 

だったら前もってもっと前段階で支度を一緒にやったら良いのにって思うのですが、ここが注意欠陥症候群の母のやらかしポイントで、子供の「宿題はこれとこれのみ」の自己申告に本当にそれだけだと思い込んでしまって、プリントを確かめたりそういった作業を後回しにしてしまうのです。だから、うちの子達の駄目だしを学校からされると半分以上は気づけなかった私のせいだとかなり落ち込みます。本当に駄目親です。鬱。。

 

うちのこ達は、学校や環境の上で出された課題に対して積極的に取り組んでこなそうっていう引き出しがいっさい無く、超マイペースでこの時間までにここまで終わらせるっていうのが凄い苦手。

 

上の娘は、私にあれやれ、これやれって言われるのが凄い嫌みたい。やらないくせに、超反抗してつっぱねる。

 

分かるよ‥おかあさんは分かってるんだよ。君たちの気持ちが。やりたくない気持ちも、やりたくない事をやらなきゃいけない気持ちも。

 

これだけ、心の中ではやりたくない事はやらなくてもいいんだ、やりたい事を全力でがんばれって思ってるのに、やっぱり親は言わざるをえないんですかね。

 

「学校は社会の縮小版、いまから与えられた課題を期間内に仕上げるっていう訓練をしてるんだよ。無くしたから、出来なかったから、やる意欲がなかったから提出しないっていうんじゃ社会人になった時にやっていけないの。だから与えられた課題は嫌でもこなしなさい。」

 

言ってて、自分で混乱しました。自由であれって思っているのに、一方ではルールに従えって言っている状況に。

 

子供が学校に入ってからずっとずっとこの壁にぶち当たるのです。すごくやりたいこと、夢があればそこに向かって努力することなんて雑作ないんでしょうが、そこまでモチベーションを上げられるような夢なんてまだ無いわけで。大半の子達が、学校や親に課せられた課題を期間内に仕上げていく、集団でコミュニケーションを学びながら大人になっていくわけです。

 

本当に休み中なーんもしないから、見かねた時にあれやれ、これやれって指示を与える事があるのですが、大人からの指示なんて子供にとっては面倒くさいだけであってやる気とは正反対の位置にあり、なんとなくふわ〜ってこなして、もう終わっていい?あと何分やればいい?って聞きまくられて、なんもやらない癖にやらせるとこれか。とイライラのループ地獄に陥るわけです。

 

成績がかんばしくないのは何とも思わないけど、何もしないっていうのはどうなんですかね。夢をもて!それに向かって努力しろって修造並みに訴える事もありますが、完全スルー状態です。大人になったら自分達でどうにかするようになるもんなのかな。

 

親がどこからどこまで穴埋めを手伝ってあげたらいいのかほんと悩みます。世の中のお父さん、子供がどこまで学校についていけてるのか課題はこなせてるのかの穴埋め作業、子育てに参加してお母さんを手伝ってあげてくださいね。本当助かると思いますよ。

 

怒らないでやる気の無い子に課題をこなさせるのは本当に厄介な案件です。。

誰か教えてください〜〜〜。やる気スイッチを押すコツを‥

 

みんな子供だったはずなのに、いつのまにか子供の気持ちを忘れてしまうんですよね。みんな迷いながら進んでいくわけで、何が正しいとかって判断しにくい問題なんだと思う。

 

冬休み中に、何かの記事で勉強が出来る親子がどういった子育てを行ってきたかのアンケートに、共有型の子育てをしたというのを目にしました。勉強や、生活などを子供に「やりなさい」となげっぱなしでおしまいというのでは無くて一緒に共有し習慣づけるという事なのでしょう。理想です。。

 

話題、ちょっと変わりますが、

準備が整っている人の所に 本当に自分がやりたい仕事はやってくる。

 

ある会社の社長さんがおっしゃっていた言葉ですが、準備ってそう考えると人生の必須項目かもしれないですね。学校では準備をする訓練をする所でもありますもんね。親は誰もが自分の子供が自由にやりたい事をやれるよう願っているものです。

 

学校=コミュニケーションを学ぶ場、将来やりたい仕事や夢のために準備を整える訓練をする場

 

そう思ったらこのイライラはちょっと何処かに収まりそうな気がする。

 

うん。

夫婦ってよくわからない。空気になるまでどれくらい‥

このあいだ、家族でスターウォーズを観に行ったんです。とても楽しみにしていたんですが、映像がすごいよく出来いて2Dで観たのに目がぐるんぐるん回っちゃって、周りを確認すると席から出口が遠く対角線上にひとつしか無い映画館でして、暗い、出れないかもしれない、密室というワードが頭をよぎった途端、軽いパニックになり過呼吸に。。

 

だんなさんをチラリと見ると、もう感動で泣いちゃってるわけですよ。スターウォーズの大ファンでして‥なので隣に座ってる娘に具合悪くなっちゃったから外に出るね、と耳打ちし、外に出て飲み物を飲みながらパニックが収まるのを待ちました。でもすぐに良くなったし、また妹と観に行こうと思っていたので特に残念な気持ちにもならず私は何も気にしていませんでした。家族には突然いなくなって席に帰らなかったので映画に集中出来たか申し訳なくはなりましたけど。

 

ここからが問題。帰宅後、だんなさんに猛烈に謝罪され地獄が始まったわけです。

 

「ごめんね、具合悪くなったのに、映画中断しないで見続けて‥オレ何やってたんだろう‥」といったふうに、私の顔見るたびにごめんの嵐。「いや、大丈夫だよ、こっちこそごめん」って軽く切り返していたんですけど、2日目夕方にとうとうかるくキレました。いや、キレたくはなかったんだけどね。あまりに謝り続けられると自分が悪いことしたような気持ちになっちゃったんです。具合悪くなってすいませんでしたね!みたいな。。

 

確かに以前の私だったら、どうして駄目な時に寄り添ってくれなかったのよ!!って言ったかもしれません。結婚したのだから、私の人生を背負ってくれて当たり前なんだと思い込んでいたんです。些細な事に気づいてくれなくてイライラを全面にぶつけまくっていた事もありました。

 

でも今は、そんな感覚あんまり無いんです。極端に言えば、本当に急病で救急車で運ばれるような事態になったとしても自分で全部なんとか処理出来るって思ってるんです。なるようにしかならないっていうか。夫婦だからって、どこからどこまでお互いのラインを踏み込むものなんですかね‥。

 

他人の事はコントロールする事は出来ません。だから人は支配をしようとするんでしょうね。

 

わたしたちは、他者の期待を満たすためにいきているのではありません。他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。

 

でも、何故他者の人生を生きてはいけないのでしょう。他者の為につくし、他者の人生を生きる人は沢山います。でも、どこかその人生で心が暗闇に覆われて行き先が分からなくなってしまうような事があればそれは改善すべき道なのかもしれません。共依存に気づき、自分の人生を取り戻すべきなんだと思います。

 

私は共依存に気づき、客観的にひも解くことを進んで取り組みました。今は喧嘩はほとんどしなくなりました。過度な期待もしなくなりました。がんばってほしいとは思ってますけどね。才能あるんだから‥

 

夫婦のあり方についてはまだ全然理解が出来ないっていうか、ふわふわしていますが、よく空気になるっていいますよね。。駄目な意味での空気じゃなくて、良い意味での空気がいいな。夫婦の事についてはまた、文献とか調べてくわしく調べてみたいです。

 

 

家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。

家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。

 

 おとことおんなの思考が交差することなんてあるんですかね。

 

魂のカリキュラム

カウンセラーさんとお話をしている時にあまりの私の頑固な心に

 

随分と魂のカリキュラムを難しく設定して産まれてきたんだね

 

と言われた事がありました。

 

人は産まれてくる前に自分で、学びの目的カリキュラムを選んでくるんだそうです。本当なのかどうなのかは分からないけど、なんとなく思い当たる節があって。

 

子供の頃、自分は修行をするため、魂を磨くために現世に産まれてきたんだという感覚がありました。かなり小さい頃からです。前世でよっぽど悪いことしたんでしょうか。でも本当に自分で選んだプログラムなら、残さずこなすべきです。そう考えるとなんだか楽になった記憶があります。

 

自分の事を特別なんだ、と思っていた事もありました。周りのお友達の遊びを客観的に見ていたというか。常に外側から物事を考えている所がありました。その他大勢というか、普通の人生なんて送りたくない。これはスピリチュアルな感覚に違いない!と小さい頃の私は思っていたのですが、カウンセラーの先生にそれは違うよ!と、、

 

アドラー心理学で話題になった本、嫌われる勇気にもありますが、優越性の追求という普遍的な欲求がひとにはあります。人より特別であろうとする欲求のことです。子供にとっては最も身近な存在、親にとって良い特別な存在であろうとし、それが叶わないと悪い方向で特別であろうとします。どちらも目的は同じ、他者の注目を集め「普通」状態から脱し、「特別な存在」になること。

 

私は親からの期待に答えられるようなスペックは持ち合わせていなかったので、スピリチュアル的に特別なのだと思い込みをする事で精神の崩壊を止めたのかもしれません。

 

「普通であることの勇気」を持つ事ができたら世界の見え方はいっぺんすると書籍にもありますが、同じ事をカウンセラーさんからもいわれました。

 

私は特別良くも悪くもなく、普通の人間である。人はみな対等で同じ位置にいる。信用するしないの対象としてではなく、仲間としてみなし、信頼のうえで行動をする。もしかしたら、これが大きなカリキュラムのテーマとして組んで産まれてきたのかもしれない。まだまだ全て受け入れるのは難しいけれども。どうしても劣等感から抜け出せません。

 

そんなふうに、カリキュラム組んできたんだぁーってぼんやり認知するだけでも、自分にふりかかる数々の困難に立ち向かう心構えが出来るようになりました。ちなみに私にはスピリチュアルな能力は全くなく、至って普通の人間であり、密やかにがっかりしたのでした。。

観音様と年越し。

今週のお題「年末年始の風景」

 

年末は鎌倉の長谷観音に家族で行くのが恒例になっていまして、今年も家族で初詣に行く事が出来ました。長谷観音では、お願いごとを書いた万灯祈願が並べられていてうちの子供たちはカップに願い事を書いて並べるのを毎年楽しみにしています。

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風に温かい光が揺らめいて、仄かに照らされた建物と円形に並べられたロウソク、本当に幻想的な風景を見る事ができます。

日が変わる10分前に、観音様の元に移動、夜に拝む観音様は本当に綺麗!お経が常にあげられているのでこれもまたおごそかで心が洗われたような気分でした。。観音様の雰囲気を伝えたいと思うんですけど、写真禁止なんです。なので、見たい方は長谷観音のホームページで見てみて下さいね。紫陽花で有名なお寺です。

家に帰宅出来たのは午前4時ごろだったのですが、この時間にしか見れない火星を見ようと息子が望遠鏡を持ちだし、東の空の火星を見ました。赤くて幻想的な星です。時期により、もっと大きく見ることもできるんだとか。

お正月に暇を持て余していたので、どこかに行きたいなーという話になったのですが、私の富士山がみたい!というワガママと河口湖に行きたいという息子のリクエストが合致し、河口湖、山中湖に行ってきました。

富士山、綺麗だったなぁー。雪は山頂にちょびっと。やっぱり少なめなのかな??

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山中湖はもっとローカルな感じで、落ち着いた雰囲気でした。オシャレなレストランとかが多くてビックリ。

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三脚持っていかなかったので写真に撮ることが出来なかったのですが、山中湖近くのパノラマ台っていう所で富士山と夜景と星がとっても綺麗に見えました。カップルがぞくぞくと来ていたのでデートスポットなんでしょうね。子供と一緒に安全に見れる天体観測スポット、もっと調べて行って開発していきたいです。

そして本日は、深大寺にお蕎麦食べに行ってきました。毎年人がたくさんで賑わっています。でも、嫌な混み方じゃないとこが好き。

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お蕎麦が美味しい事もさながら、わんちゃんも配慮してくれるお店も多いのでオススメスポットです^_^

ただ、年始の深大寺って車とめるの苦労するかもー。バスとかで行った方が楽かもしれないですね。

ゲゲゲの鬼太郎茶屋があります。可愛いグッズたくさん売ってます。

きたろうだいすき。

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今年もブログの更新頑張ります!ちょいと息抜き的な話題でした。

昼間の眠気

やりたい事が山ほど溜まっていて、仕事を休職して家にいる今こそ片っ端から片付けていこう!と意気込んでいたのですが、どうも怠くて眠い状態から抜け出せない時があります。

今は睡眠薬を飲んで寝ていますので、夜の睡眠は安定してきているおかげで、昼間に立ち上がるのが辛いほどの睡魔には襲われなくなりました。でも、夕方どうしても横になってしまうことがあって。なんか悔しい気持ちになります。昼寝しても質の良い睡眠取れるわけではないんですよね。偏頭痛になってかえって疲れちゃったりするわけで。

昼間の睡魔対策、調べてまとめてみました。

・規則的な生活をして体内時計を整える

これは基本ですよね。分かってはいます…。なかなかね。私は夜に交感神経が昂ぶってしまってなかなか寝付けないのでどうしてもダメな時は睡眠薬を使ってリズムを整えています。夜寝れるってだけでだいぶ、昼間楽に動けます。

・昼食は消化の良いものを腹八分目

昼食を摂りすぎると眠くなりますよね。血液が消化器官に集中し消化活動が活発化。反面、脳は酸欠気味になり眠気を感じるんだそう。

朝食べないので、昼にカロリー高いものをお腹いっぱい食べてしまっていました。眠気、怠さのもとだったんですね…

どうしても眠い時は、コーヒー、緑茶などのカフェインを含んだものを飲んでから20分程度寝る。カフェインが効いてくるのにタイムラグがあるので効いてきた頃に起きればスッキリ目覚められるのだそう。私は入眠が苦手なのでなかなかこの方法は聞きません。。昼寝出来ないから、日中辛さが抜けないんだよなぁ。

・交感神経を優位にする。

両手を同時にグーパーを繰り返す、深呼吸やストレッチをする。朝起きたら冷たい水を一杯飲む。コーヒーなどカフェインも優位に持っていってくれるみたいです。太陽の光を浴びる。

ここまで調べてみたのですが、要するに規則正しい生活と、バランスの良い食事、適度な運動が一番なわけです。当たり前な結論ですね。

でもここまで書いてみて思った事があるんです。

現代人はどうしてここまで慢性的な異常な疲労感と戦っているのでしょう。

思うんですが、

やりたくない事をやっているからだと思うんです。

ボロボロになるまですり減らして働くと、交感神経優位な生活環境に浸っているため自律神経が乱れます。副交感神経優位な状態が非常に少ない、リラックスしている時間が無いのです。

ひとはマゾ的な部分も持ち合わせています。どこかで自分が社会や環境にプレッシャーをかけられたり、追い詰められていたりするのを居心地が良いとする自分もいるのでしょう。居心地の良い場所を守る為、無意識のうちに、 怠くてやりたい事を出来ない環境を選んでいるのでしょう。

本当に、この状態から抜けたければ抜けれるはずなんです。自分の環境は全て自分が作り上げているのです。

私は仕事に行かなくなり、対人関係も無理せず自分のペースでと心がけるようにした所、まだ日中怠さと戦う時間もありますが前とは比べものにならないくらい楽になりました。

まだ、自分の本当にやりたい事、新しい事をしようとすると頭がモヤモヤっとなり明らかに新しい自分を怖がり邪魔をしてくるエゴの部分を感じるのですが、負けないでコツコツ頑張りたいです。

日々心のトレーニング!

環境優位の生活を繰り返すのではなく、自分優位の環境を創造すればネガティヴな疲労感から解放されるのかもしれませんね。

注意欠陥症候群、職場で困るは避けられない。

注意欠陥症候群、職場で困る、は避けられない。

 

というか、集団であればあるほどADHDってパニックをおこしやすいと思う。あたしだけかしら。

 

私の職場ではかなり良心的に見守っていただきました。カレンダーのような表をよんだり、数を数えたりするのが苦手というのをカミングアウトさせていただきミスをしてしまっても励まして応援してくれました。本当に有り難いことです。

 

出来ない、分かってもらえない苦しみを抱えながら毎日仕事に行くには本当に苦しい事だと思います。そんな毎日をおくられているかた、いらっしゃいますかね。

そんな方の苦しみ、本当によく分かります。

 

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前より全然生きるのは楽になりました。沢山の努力と苦行を受けてきたので。でもやっぱりミスっちゃうんです。みんな出来て当たり前の事が出来ないから。例えばどれとどれを組み合わせたらお得か、計算して。と言われてももうパニックのみです。消費税の計算すら危ういです。なんていうんだろう‥独特の頭の中がモヤモヤ〜〜っとした感じになって、霧がかって周りが見えなくなってピンポイントしか読めなくなっちゃう、そんな感覚。。

 

でも幸い、訓練、努力を重ねると方法は違えど、普通の出来る人と同じように出来るように見せかける事は出来るようになります。変な言い回しですが‥計算式は違うんだけど、同じような答えを導きだせるとかそんなイメージかな。

 

私の場合、細かい事でもメモをとる。その場で理解していなくても時間をかけて頭に入ってくる場合もあるので書く事を忘れない。イレギュラーでパニクってしまった時の手順を自分なりに癖づける。ごまかしの能力ですね。ごまかした後、時間がある時に分からなかった所をちゃんと解決してから帰る。

 

本当に社会に出るの恐怖です。。

どんなに頑張っても出来ないものは出来ないから。

自分がしたミスの事、してしまったミス、おこるのではないかというミス、考えるだけで夜寝れません。完璧ではいられないのだからと分かっているのですが、やはり人と同じ事が出来ないという劣等感に苦しんでしまうんです。

でも、他人がどうこうしてくれる問題ではないので自分で向き合って解決していくしかないんです。持って産まれたものなのでしょうがないですね‥。

 

それでも、他人と関わりを持って働けた、接客というものを体験出来たことに本当に感謝しています。喜びや笑顔を共有できるっていうのは素晴らしいことだと思います。

 

こんなちっぽけな存在ですが、笑顔になって帰って頂けた時は本当に心がぽかぽかします。大変な思いをして働いていても本当に良かったなと思います。

 

なんか、これを書いていて気づいた事があったんだけど、仕事を休職した理由にそのミスが止まらなかったっていう面ともうひとつ、いくら真心をこめてお客さんに笑顔になってもらおうと頑張って尽くして貢献しても仕事仲間からの「ありがとう」の言葉のバックが無くなってしまった事があります。

 

例えば家族の食器洗いをしていて、貢献しているのにありがとうとか感謝の態度を得られなかったら寂しさや孤独感を感じてしまうとして、それはどうしてかというと家族という共同体を仲間という感覚で捉えていないから。もし、本当の信頼出来る仲間として食器を洗うという他者への貢献をしていたのならそこに感謝の言葉の要求というのはなくなるんでしょう。与えるという感覚を持つ事が大切ですね。自己犠牲ではなく。

 

私は自己犠牲をはらい、職場の人から褒めてもらえない事に腹をたてていたのかもしれません。自己需要を他人に求めていたのかも。

 

より大きい共同体感覚を分かるために、これからも修行していきたいです‥

 

 

さっき飲んだデパスが効いてきてふらふらしてきたのでまた今度‥

雑な終わりとなってしまいました。

毒親からの解毒作業中‥

ネットで毒親ってワードがたくさんひっかかるんだけど、これは要は、親に洗脳されてるっていう状態なんだよね。今日、辺見マリさんのしくじり先生を見てて洗脳っていう状態について深く考えた。辺見マリさんはあかの他人から洗脳されてたわけだけれども、何かおかしいとどこか気付きながらもその状態にすがり続けたわけで…私は母からの洗脳状態のまま23歳くらいまで生きてきた。。この事について、いつか書いて消化したいな、と思っていました。

 

今回のブログテーマが決まりました所で、自分なりに色々まとめてみたいと思います。おつきあいよろしくお願いいたします。。

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毒になる母親とは

  • 子供をペットのように支配し扱う
  • 子供の人生に悪影響を与えるような育て方をしている
  • 肉体的、精神的、性的な虐待
  • 放置、ネグレクト
  • 過干渉

など、なんだか凄いワードが並んでいますが実際はもっと生活にとけ込んでいるというか、子も、親自身も洗脳している、されている感覚が無いままに生活しているのかも。もし成長過程で親からの過剰なプレッシャーにより心がぎゅっと苦しくなったりした経験があるのならあなたにとって毒になっているのだと思います。

 

うちは過干渉タイプでした。遊ぶ友達の環境から、帰宅の時間から着る洋服から何から支配されていました。破ると叩かれるのは当たり前で、外に出されたり、物を壊されたりもありました。私が一番嫌だったのは、子供を叩くと痛いのは親の心の方だと言われる事でした。無意識に、暴力をふるうという罪悪感さえも「子供のため」に変換していたのだと思います。

 

小さいうちは、親に育児を放棄されてしまうと子供は死んでしまいます。本能でそれを分かっているので、言うことをきこう、機嫌をとろうと必死になります。毒親の子供は親の人生を歩き始めます。自分の自我を押し込めて、生きるという選択をします。

 

私自身、娘が産まれて育てて分かったのですが、子供は絶対に愛おしいし可愛いんです。だからこそ、自分の負の部分を受け継いだ人生を歩ませたり、失敗はさせたくない、困難を先回りして除雪してあげたい。そう思っちゃうんですよね。その思いが行きすぎると過干渉となり、プレッシャーとなり、心の支配、洗脳に繋がっていくんです。知らず知らずのうちに。毒親は、可愛い自分の子供に成功を味あわせてあげるために、自分の人生をやり直すかのように教育し、干渉します。その行き過ぎた気持ちに答えきれなくなった子供は精神的に不安定になるのは間違いないですよね。

 

私は常に誰かに自分をチェックされているのではという極度の神経症となり、着る服を自由に選ぶ事さえも出来なくなりました。安心して着れるのは母が選んで買ってくれるブランドの服のみ。本当にしんどい子供時代でした。

 

それでも、まさか親の価値観の中で生きているなんて思いもしなかったんです。私が馬鹿で勉強でも期待に答えられないし、容姿も綺麗じゃない、秀でているとこなんてひとつもないのだから、怒られて叩かれるのは自分の価値がゼロだからだと思っていました。

 

でも、結婚をし、子供が産まれた事から解毒が始まりました。酷い鬱と神経症の状態でしたが、このままではいけないとセラピーにて自分の洗脳状態に気づく事が出来たのです。

 

解毒の最初の一歩は、なんといっても離れること。次は親を疑い、気づくこと。これが洗脳を解いていく鍵となります。思っていることを全て言葉にすること。これは、信頼出来るカウンセラーさんと巡り会えれば、そこでセッションする事によりより早く洗脳が解けて行くと思います。

 

まずはありのままの自分の状態を受け入れましょう。怒りを受け止めてあげましょう。もしかしたら、その子(押し込めた自我、あなたの純粋な置き去りになった心)は、おかあさん、おとうさんのためだから我慢してがんばる。と言うかもしれません。それは、愛されたいからですよね。愛してもらうのは、他人じゃなくてもいいんです。自分で愛してあげらるんです。自分がんばれ!がんばれ!ではなくて、そのまま、ありのままを抱きしめて受け入れてあげられれば良いのだと思います。だって、小さい頃に親にしてもらいたかった事って100点とって褒めてもらうっていう経過じゃなくて、あなたがそこにいてくれるだけで幸せ、愛してるよ。そういって受け入れてもらえる事ですよね。

 

私もまだまだ、親との共依存関係がすっぱり清算されているわけではありません。なんでも時間がかかりますね‥

何かあると頼ってしまうんです。病院連れてって〜とか。でも、以前みたいに全部イエス、と受け入れるのではなくて、やりたくない、受け入れたくない考え方などは、ノーと言えるようになりました。

 

あ、ノーを突きつけるのは喧嘩になるかもしれませんが効果絶大です。親の言う事だから‥と無理矢理聞き入れるのではなく、受け入れられない気持ちをちゃんと伝える努力を私はしています。

不思議と前よりも良い関係と距離感を保てていると思います。

 

以前の自分より、好きな事はすき、やりたいと自分の人生を歩んでる実感は格段にありますし、リラックス出来る時間も増えました。神経症もかなり良くなりました。

 

 

 

なんとなく、書きたい事、かききれなかったな‥まだモヤモヤした部分があります。また、今度、心の整理が進んできたら改めて書いてみたいと思います。