写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

注意欠陥症候群、職場で困るは避けられない。

注意欠陥症候群、職場で困る、は避けられない。

 

というか、集団であればあるほどADHDってパニックをおこしやすいと思う。あたしだけかしら。

 

私の職場ではかなり良心的に見守っていただきました。カレンダーのような表をよんだり、数を数えたりするのが苦手というのをカミングアウトさせていただきミスをしてしまっても励まして応援してくれました。本当に有り難いことです。

 

出来ない、分かってもらえない苦しみを抱えながら毎日仕事に行くには本当に苦しい事だと思います。そんな毎日をおくられているかた、いらっしゃいますかね。

そんな方の苦しみ、本当によく分かります。

 

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前より全然生きるのは楽になりました。沢山の努力と苦行を受けてきたので。でもやっぱりミスっちゃうんです。みんな出来て当たり前の事が出来ないから。例えばどれとどれを組み合わせたらお得か、計算して。と言われてももうパニックのみです。消費税の計算すら危ういです。なんていうんだろう‥独特の頭の中がモヤモヤ〜〜っとした感じになって、霧がかって周りが見えなくなってピンポイントしか読めなくなっちゃう、そんな感覚。。

 

でも幸い、訓練、努力を重ねると方法は違えど、普通の出来る人と同じように出来るように見せかける事は出来るようになります。変な言い回しですが‥計算式は違うんだけど、同じような答えを導きだせるとかそんなイメージかな。

 

私の場合、細かい事でもメモをとる。その場で理解していなくても時間をかけて頭に入ってくる場合もあるので書く事を忘れない。イレギュラーでパニクってしまった時の手順を自分なりに癖づける。ごまかしの能力ですね。ごまかした後、時間がある時に分からなかった所をちゃんと解決してから帰る。

 

本当に社会に出るの恐怖です。。

どんなに頑張っても出来ないものは出来ないから。

自分がしたミスの事、してしまったミス、おこるのではないかというミス、考えるだけで夜寝れません。完璧ではいられないのだからと分かっているのですが、やはり人と同じ事が出来ないという劣等感に苦しんでしまうんです。

でも、他人がどうこうしてくれる問題ではないので自分で向き合って解決していくしかないんです。持って産まれたものなのでしょうがないですね‥。

 

それでも、他人と関わりを持って働けた、接客というものを体験出来たことに本当に感謝しています。喜びや笑顔を共有できるっていうのは素晴らしいことだと思います。

 

こんなちっぽけな存在ですが、笑顔になって帰って頂けた時は本当に心がぽかぽかします。大変な思いをして働いていても本当に良かったなと思います。

 

なんか、これを書いていて気づいた事があったんだけど、仕事を休職した理由にそのミスが止まらなかったっていう面ともうひとつ、いくら真心をこめてお客さんに笑顔になってもらおうと頑張って尽くして貢献しても仕事仲間からの「ありがとう」の言葉のバックが無くなってしまった事があります。

 

例えば家族の食器洗いをしていて、貢献しているのにありがとうとか感謝の態度を得られなかったら寂しさや孤独感を感じてしまうとして、それはどうしてかというと家族という共同体を仲間という感覚で捉えていないから。もし、本当の信頼出来る仲間として食器を洗うという他者への貢献をしていたのならそこに感謝の言葉の要求というのはなくなるんでしょう。与えるという感覚を持つ事が大切ですね。自己犠牲ではなく。

 

私は自己犠牲をはらい、職場の人から褒めてもらえない事に腹をたてていたのかもしれません。自己需要を他人に求めていたのかも。

 

より大きい共同体感覚を分かるために、これからも修行していきたいです‥

 

 

さっき飲んだデパスが効いてきてふらふらしてきたのでまた今度‥

雑な終わりとなってしまいました。