ブログを始めてみて思ったこと。
今年は突然仕事を辞める事にしまして(休職という状態になっていますが)
生活で何かサイクルを変えたいと思い、ブログを始めてみたわけです。
自分の頭の中を整理すると同時に、ADHD、鬱、対人恐怖症、神経症を患ってきた自分の経験、体験談が何か他の人の心にひっかかる事もあるのかもしれないと思ったから。
行動を伴わない思考は何にもならないので、とにかく何か行動を起こしてみようと思った。
今までのアクセス数はそんなに多いわけではないんだけれども、それでも、100人、200人に出会い、自分の事を話す機会なんてとても無いわけだからブログってすごいなと思いました。
来年はカメラを持っていろんな場所に行ってみたいです。
2015年は気づきの年だったので、2016年は飛躍のとしになるといいな〜
こんなちっぽけなブログですが、手を止めて読んで下さったみなさま、
本当に有り難うございました。心より感謝致します。
みなさまにとって、2016年が素晴らしい一年となりますように!
ワーキングメモリが少ない子と学校の溝
私はADHDがあり義務教育期間は苦しい思いをして過ごしてきましたが、私の子供達も障害にはひっかかりませんでしたがマイペースなため、少なからず苦労している所があるようで。。
息子は幼稚園では何の問題もなく過ごしてきましたが、学校に入ると先生から問題点をちょくちょく指摘されるようになりました。こちらとしては、ガツンと先生から指導して下さい、家庭でも毎日様子を聞いて話し合い対処していきますと伝えたのだけれど、あまりに先生が苦戦しているようだったので市の相談センターに相談して見る事にしました。
相談センターで分かったのは、息子はワーキングメモリが平均より少し少ないという事でした。
ワーキングメモリとは
心のメモ。
短い時間に心の中で情報を保持し、同時に処理する能力のこと。
会話、読み書き、計算などの基礎となる日常生活や学習を支える重要な能力。
創造性のある思考をする時にも重要な役割をはたす
- 脳のワーキングメモリがうまく働かないと学校では何が問題か
ワーキングメモリが少ないタイプは生活に多々支障が出ます。例えば、おつりの計算が出来ないなど、少し前の事を覚えているのがすごく苦手な為、会話も気づくと内容を理解していないなんて事がしばしばあります。集団行動で苦戦する場面が多いかもしれません。
ワーキングメモリがうまく使えていないと、先生のお話を聞きながら何かをするのがすごく苦手なため、「これとこれを持って音楽室に行ってください。」などの指示があった時、自分はいたって真剣に聞いていたつもりでも訳が分からなくなってしまいます。持ち物に注意が行っているとどこに移動するのか分からなくなってしまうのです。私自身は自己防衛で、分からないけどわかっている態度が出来るようになってしまっていたため、先生に反抗的な態度をとるやっかいな子として扱われました。
先生の話を聞きながらノートを書くというのも苦手なので、もはやまわりと足並みを揃えるというのがとても難しくなってきます。そういう子に対して先生は、個別に指導しなくてはいけなくなってきます。その子のレベルに合わせた言葉で「持ち物はこれ。これを持って二時間目は音楽室に行ってね。」というふうに。
先生もやる事はたくさんありますし、貴重な時間をそこばかりに使うわけにもいきません。だんだんその子は置き去りになり、理解出来ない授業が行われている時はただ椅子に座り妄想にふける、立ち歩いて自分の興味がある方向に関心がむいてしまうといった傾向があるように思えます。
そこで先生は、自分の話、授業に興味が向かない子は放置し、時間が許すときや目にあまった時に、がーーーっと怒る、注意をするといった行動に出る事があります。私自信、出来ない事を一生懸命やろうとしているのに出来ないといった葛藤の中で生きていましたから、まとめて怒られるという大人の行動にとても傷つき失望してきました。
その「出来ない」という事実だけをすくって家庭に連絡がくると、当然その子は親からもどうしてみんなと同じ事ができないんだ!!と怒られるわけです。どこかで大人が溝を埋めてあげないと、負のスパイラルに発展してしまいます。
- ワーキングメモリが少ない人は覚えるのが苦手なのではなく「注意の移動」が苦手
注意の移動が苦手とは、覚えていなくもいい対象に注意が向けられていたりする状態だそう。確かにそうかもしれません。
最近実際にあった出来事ですが、子供に学校に大根を300グラム持っていかなきゃいけないと大騒ぎされた事がありまして、何が問題だったかというと前日の夜中、もうスーパーが閉まっている時間だったわけです。親はパニックです。。自己責任だ、自分でなんとかしろという訳にもいかず、持っていかないとグループ全員に迷惑がかかるので遠くの24時間スーパーに買いに行って朝には用意しました。学校から帰ってきて、大丈夫だったかと聞くと、「必要なのは今日じゃなかった」と衝撃の一言‥!だいこん、300グラム必要というワードばかりに頭がいってしまったため、いつ必要かという事まで覚えられなかったのでしょう‥。
- 親、大人がとるべき対応
こういったマイペースな子に対して、私も絶賛悩み中なので的確なアドバイスは出来ないかもしれませんが、見守りつつ落ちてきたら下から支えてあげる感覚が一番なのかなと思います。本人なりにうまく集団でやっていこうと努力している所は絶対にあるはず。すぐにワーキングメモリを鍛えて明日には結果が出るというものではないので、長く何年もかかるものとしてゆったりと認知し、フォローしてあげる事が大切だと思います。大人が投げ出したら終わりです。あまり手を出して助けすぎてしまうと、出来ない事を出来るようになろうという努力をしなくなってしまいますので、あくまで一歩引いた所で手を離さないようにしてあげるというのが良いのかな‥と。
そういった考えのもと、長い目で成長を見守りたいと子育てをしているのですが、現実からは学校から沢山の連絡がくるわけです。皆と同じ事が出来ないと。(主に忘れ物ですが)
学校で集団行動がうまく取れず苦労してきた私が子供にアドバイスしている事は、
- ちょっとした事、その場で覚えていられると思った事もメモにとる
- とったメモは同じ場所にいれるという習慣をつける
- ワードの関連付け、イメージを持って記憶をする癖をつける
もっとも、うちの子供達は学校から駄目だしをくらってもそこまで悩んだりしてなさそうですが。。
ポジティブでいてくれるというのが一番私にとっては嬉しい事です!
出来ないよりは、出来た方が良いわけで、出来ない事で自尊心が低くなってしまうのはもったいないといつも思います。苦手な分野でこそ努力が必要なのだと感じます。
でも、すぐに生まれ変わったように出来るようになるわけじゃない。
長い目で、信じてあげることこそが子供の成長につながるのかもしれませんね。
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第2子にだけピアノを習わせている理由
子供が大きくなってくると、多くの親御さんが迷うのは何の習い事をさせるかだと思います。
うちには2人の子供がいますが、上の娘にはピアノは習わせていません。繰り返し練習があまり得意ではないことと、同性である私から注意をされるのを嫌がる事から習い事からピアノという選択肢を入れませんでした。
娘はバレエを習っています。うちはあくまで精神と肉体を鍛えるツールとしてやっているので本人の性格に合ったようで長く続けられています。全くバレエに対しての知識が無いので口出しする事もなく、娘が出来ない事にイライラしません。
肝心のピアノですが、息子は鍵盤に興味をもち弾き始めたのと、練習がそこまで嫌いな様子では無かった事から習わせてみる事にしました。もちろん習いたいと本人の意思もあったのですが、幼稚園年長さんくらいの子の意思なんてフヤフヤなんです。最初は集中して一人で弾いていましたが、男の子の集中力は単発的なのであっと言う間に冷めてしまいました。
今では多少難しい曲が弾けるようにはなりましたが、練習のたびに横に座り一緒に符読みをし、一緒に弾いてあげるという、私の練習なのかと思うようなモヤモヤした日々もありました。それでも、ドビュッシーの曲や、トルコ行進曲、エリーゼのために、など有名どころを弾いてみたいという夢はあるようで、弾けるようになった時にはかなりの達成感を得れたようです。
ピアノの習い事って親が大変と周りのママさん達もよく漏らします。
私も、自分で符読みして弾ける所までやってくれたら楽なのになぁと思ったりします。
それでもやらせているのは‥
- 難しい曲、憧れの曲をひけるようになった時の達成感を覚えてもらうため
- 脳のワーキングメモリを発達させる訓練になるため
- 多動の気が少しあり、45分間のレッスンの中で集中力を養ってもらうため
- 何よりも音楽を好きになってもらいたいから
息子は驚くほど譜面が読めません。でも、この曲が弾きたいという気持ちが走るとその年代にしては難しいと言われる曲を弾く事もあります。その時の集中力は半端ではありません。何よりも本人の中で、苦労の末ひけるようになったという自信が芽生えるようです。親ががんばって寄り添うようにサポートしてあげる体勢があるのだったら、自尊心を育てるのに多いに役立つ習い事なのかもしれません。
子供の習い事の大半は、親の経験から選別されるのだそうです。
ここにもしかしたら親が悩む原因があるのかもしれません。
本当にこの子はこれをやりたいのだろうか‥小さいうちは特に悩む人が多いです。
でも大きくなってくると意思がはっきりしてきます。娘も幼い感じだったのに10歳を超えると意思がとても強くなり自我が芽生えてきたのをひしひしと感じます。
それまで子供の心を親がコントロールしすぎる事なく、一緒に夢や達成感を追うのが理想なのかな、と感じるのでした。。
心療内科で酷い目に2回あった話。
鬱で心療内科にて酷い目にあった事がある人はフラッシュバックするかもしれません。今調子が悪い人は読まない事をおすすめします。
私が初めて心療内科に行ったのは16歳くらいだったかと。
その病院は母が調べて連れて行ってくれた所だったので何も知らなかったのですが、遠方からわざわざ訪れる人がいるような、書籍も数々出している先生だったようで最近それを知って少しびっくりしました。私にはまったく合わず、沢山の薬を軽い問診で出してもらっていただけで特に良い所は今でも思いつきません。ただそこはADHDに強いクリニックだったようで。鬱ではなくADHDでうかがっていたら何かが違っていたのかも。
そこから数年後、また酷い不眠症と鬱に陥り、就職も困難な状態に陥り、これは克服しないと引きこもりになってしまうと思い、違うクリニックに受診した事があります。そこは医師とは別にカウンセラーが在中している所でした。医師はまぁまぁ普通の人。いつもの通り、安定剤と睡眠薬のセットが出た後に、カウンセリングも行ってねと言われ、別室のカウンセラーの所に。そのカウンセラーが恐ろしく自分とは合わない人でした。
色々言われたけど、ショックで覚えているのはおぼろげですが、
死にたいの?リストカットなんかして。そんなに死にたいんなら、切ったら確実に死ねる場所を教えてあげるよ。中途半端に切っても救急車呼ぶだけだから連絡とれるもの、携帯電話とか自分から遠ざけてやってね。はいさよなら。
そんな感じの内容。
もしかしたらショック療法的な何かだったのかもしれない。でも、そのカウンセリング後に何か心の中で良い方向に向かったとか、変化が起きた記憶は全く無い。
それ以降、心療内科がすっかり怖くなってしまって不眠になると内科や、神経内科に受診し、睡眠薬、頭痛薬、安定剤をセットでもらうのが一番安全だと思いそうしてきました。
ある時、どうしても遅い時間にしか病院に行けず、駅近の神経科がありまして、そこを受診した事があります。今から考えるとどうしておかしいと思わなかったんだろう‥って思うのですが‥そこの病院は、神経内科、心療科を掲げている所でした。
入り口に「神様に愛されるには‥」みたいな張り紙がしてあります。箇条書きでつらつらとかいてある。呼ばれて診察室の中に入り、頭痛が止まらないという事、寝れないので日中疲れてしまうという要点をつげると最初は普通に話をしてくれていたものの(かなり向こうが一方的にしゃべっていた)私の一言をきっかけに先生が突然逆上し始めた。なんのワードだったかも覚えていない。本当にささいな一言で突然だったためかなりパニックに。
お前の左の頭が痛いのは魂が体を嫌がって抜け出ているからだ、精神異常者め、精神病棟に送り込んでやる。拘束して電気ショックかけてやるからな!!とどなり散らかされ出て行け!と荷物を部屋の外に放り投げられました。
嘘のようですが、本当の話です。
その時の心境をぼーっと客観的に見ている自分がいたので鮮明に覚えているのですが、ああ、またか。避けようがなかった出来事だからこの状況を受け止めるしかないけど自分がこの出来事のせいでしばらく外に出れなくなったり対人関係で震えたりしてしまうのはめんどくさいな‥と切り離されてしまったかのように感じていました。
それらの経験を経て、心の病は病院や薬じゃ根本からは治らないのかもしれないと、催眠セラピーに行ってみる事にしたのです。そこに行き着いた時には押さえきれない怒りと数々の感情に振り回され肉体も心もボロボロでした。
私はあまり、病院というものはおすすめではないです。
でも、自分じゃ自分を冷静にどうしても分析できないときもあるんですね。
そういう時は、信頼の出来る第三者がいてくれると癒しの始まりになります。
遠くから目的地を見ているとはっきりその場所がどういった所だか把握出来るのに、その目的地の中にいるとどういう環境の場所だかよく分からなくなってしまう、そんな時は外から地図を持ってみてくれている人がいたら自分がどこに向かうべきかわかりますよね。
今現在、自分は場所を見失いつつあるんですけど、仕事を辞めたりこうやって文章で自分の思考を追って整理する事でバランスを保たれている感じではあります。
まとまったお金ができたらまた、カウンセリングに行ってみようかな。また新たな進むべき道のヒントが見つかるかもしれない。
白菜中毒。
冬は寒いので苦手です。肩こりが酷くなって体のあちこちに異変が起きます。
でも、鍋料理が大好きなので、それだけは好きです。白菜が安くなってくると
本当に嬉しいです。毎日鳥と白菜の水炊きで生きて行けるくらい好き‥
好きな鍋料理は、まず鶏ガラでスープを取って塩で味付け、白菜、春菊、人参、豆腐、キノコ、くずきり、鶏肉。豆乳を入れたら豆乳鍋に。極限に余計な味がしない体に優しい感じ。
あとキノコしょうゆ鍋。きのこをとにかく沢山いれて、ゴボウ、鶏肉、きりたんぽあとは好きな野菜。あじつけは醤油をお好みで!これもさっぱりですがコクがでます。
チゲ鍋も好きで、こだわりの作り方はまずキムチを炒めること。これをやる事でコクと甘みが出ます。そのあとに水を入れて好きな具材を。ミソを入れるとさらにおいしくなります。
私の好きなもの、食べれるものが偏っているからか、水炊きのような味の少ない料理ばかりになってしまって家族は多分不満だらけではないかと思うんですけど、でも、自分があまり好きじゃないものって料理しようとしても失敗してしまいます。不思議です。
偏食について気になったので少し調べてみる事にします‥
「苦いものは毒」「酸っぱいものは腐っている」
味覚の防衛本能が働くので、こういったものは嫌われがちなんだそう。子供は特に。
確かにそうだったかもしれない。子供って変わった味覚のものなど、慎重で怖がったりなどしますよね。でも、大人になってから苦みのあるものなど、食べれるようになるから不思議。これはたべれるよーって経験が味覚を変えていくんですかね。
私は子供の頃、お菓子や添加物が入っているものなどをかなり控えた生活をしていました。親が無添加などにこだわるタイプだったからです。おかげで、野菜やダシが好きですが、反極にあるような濃い味のニンニクトマトチーズの味付けのものなども好きです。これは幼少期にみんなが食べていて自分が食べられなかった我慢の反動ではないかと自分では思っています。
うちの子供達にはあまり、添加物制限などはしていませんがやはりシンプルなものを好む傾向にはあります。私が普段食べれる料理をサイクルで出してしまっているからなんでしょうね‥反省です。
知り合いで母親が歯科衛生士の方がいて、かなり甘いものなど制限されて生きてきたそうなんですが、結婚して自由になったとたん反動で甘いお菓子、ポテトチップスを食べるを止められなくなってしまったと言っていました。子供に食事制限を過剰にしてしまうのは考えものですね。世間、環境とのバランスが大切だなと感じます。
子供の偏食についてはおおらかに見守っていこうと(自分のせいでもあるので反省)と思っていますが、自分の偏食はどうにかしたいので食べられるものを増やして行こうと思います。食べれないものがあるっていうより、あまり食にこだわりがないというか、たべたい!!ってものが少ない。料理のレパートリーを増やして行きたいです。笠原さんの鍋料理本欲しいな。また鍋か!って子供に突っ込まれるかも‥
鬱からの脱却
今、すんごい疲れていてあまり頭がまわりません。そこまで疲れる事はしていないのだけれどこの時間っていつも疲労感が辛いです。体力的に疲れてないのに、だるさ、疲労感がえげつない時って何か潜在意識、エゴが働いてる気がする。新しい事を始めようとしている自分を押し込めようとしてエゴが暗躍しているのかも、なんて思ったりします。
鬱が軽減した事について語りたい。
さて、ブログを始めた理由に長い長い鬱状態のはてになんとなく見えてきたものを書き残したかったというのがあります。鬱っていうのは本当に辛いもので。
10代の頃はよく分からない自分の中のドロドロに飲み込まれ戦っていた感じ。世界のどこからも相手にされず、孤独で一人きりで、いなくなれと言われているような気がしました。被害妄想も半端ではないので、授業中自分がゴミのように感じてしまい悲しくなって突然シクシク泣き出したり‥めんどくさい奴です。服装や、容姿についてなど、母に事細かに口を出されていたものですから、自分で服を選んで着るという事が怖くて出来ませんでした。あなたは黒が似合う、いつもそう言われてたので、自分で選べるのは黒い服ばかり。友達から魔女と呼ばれていました。神経症になり、服のぼたんひとつ外して歩く事が出来なかったのです。首もとのボタンを外すといういつもと違う事を自発的にすると、すれ違う人全てに笑われてる気がしました。家では、外での自分の行動が脳の中をぐるぐるエンドレスにめぐりフラッシュバックするので、それをかき消すために髪の毛をむしりながら大声をだして発狂していました。
あまりに小さい時から、自殺、消える、という事ばかり考えていたのでそれが自然というか、普通がどういう事なのかよく分かりませんでした。転機が訪れたのは高校の時、担任の先生が母に心療内科に連れて行って投薬治療を受けたらどうかと提案してくれた事でした。当然母は、うちの子にそんな必要ないと反発していましたが、リストカット、自殺願望があまりに酷くて渋々連れて行ってくれたのです。そこはあまり良い心療内科ではありませんでした。気持ちについてのアンケートを書かされ、診察室に呼ばれ、先生が質問をすると全て母が受け答え、私はほとんどしゃべらなかった。でも先生は「軽い鬱ですね」と言い、次に「薬を出します」と。大量の安定剤と睡眠薬を出してくれました。
私は嫌な事があると睡眠薬を飲み、逃げる事が出来るようになりました。悲しくなったり、絶望感が迫ってくるのを感じると薬を多めに飲み、2日、3日とほぼ寝ている状態でその時をやり過ごしました。あまり健全ではありませんが、寝ている時は、逃げ出す事の出来ない家族から逃げる事が出来たのです。
そんな状態で何年かすごし、高校卒業後、美術の専門学校へと進みました。そこには私よりも変な人たちが沢山いて、同じような鬱を煩っていたり、メンヘラちゃん友達がいっぱい出来たので義務教育間に感じていた孤独はかなり減少させる事が出来ました。でも根本からの解決にはなっていないので、何か他人から言われると、例えば「この作品は駄目だね」みたいな事を言われるとすぐに奈落の底まで落ちて、いとも簡単に鬱状態に戻りました。
鬱が良い方向に向かったのは子供が産まれた事がきっかけでした。産まれた後は、酷かったんだけど、この子の為に普通のお母さんになりたい!どうにかしたい!って心底思いました。
孤独の淵から這い上がる為には
自分の根本を見つめる、潜在意識を見つめる事で癒しが起こります。まずは自分のありのままを知り、受け止める事です。
そこに感情はいりません。ただ自分の心を傍観するんです。私の場合、解釈はあとからついてきました。鬱の人は、自分の心の中を見つめ声を聞いている自問自答状態にあると思いますが、自分の事をよく分かっているようで分かっていないんです。私は良い先生に出会えて、自分のインナーチャイルドに対面する事が出来て本当によかった。カウンセリングの必要性を心底理解しました。
一人で解決する事は難しい。
鬱で苦しい思いをしている人がいらっしゃいましたら、あなたに寄り添ってくれる人ができますように‥。孤独を感じている人がいらっしゃいましたら、ただ話をきいて、うなずいて受け止めてくれますように。
私はセラピーに通って、母からのトラウマと、自分の作り上げた思考の装備に気づく事により、鬱からの脱却の第一歩となりました。いまだに完全によくはなっていませんが、普通の状態がこんなに楽なんだと、普通の人はずるいなぁと思いました。
長くなりましたのでまた次回‥
怒りは出し入れ可能な道具である
久々に怒りの感情をぶつけた出来事があった。
クリスマスの食事を用意してくれていた母に、これ持っていってテーブルに並べてと言われたのだが、息子のリクエストに応え海外のサイトにアクセスしてサンタ追跡サイトの英語を必死に読んでいた時だった。必死になっていた為、ちょっとまって、と言った所、母の機嫌が悪くなり、ため息をついたりあからさまに嫌な顔をされたり、それくらいの事でそんな態度を取られると思っていなかったのでなんだか非常に腹が立った。
母は多分、自分が必死に家族の料理を準備しているのにすぐに運ぶという対応をしてくれなかった事に腹が立ったのだろう。
一方私は、そこに置いといて、きりが良くなったらすぐに運ぶからくらいの気持ちだったため、思いもがけず、相手の都合にそった態度をとらなかった事で
ため息ついたり見下されると思っていなかったので非常に腹がたち、これは怒りという道具を出して相手に見せても良いケースなのかもしれないと、静かに怒りをぶつけてみたのである。
昔は、親の言う事は絶対服従であると思っていた。でも、人はみな対等なのである。お互いに発言権もあるし、どちらかがどちらを制圧するような事は親子関係でもしてはいけない事なのだと思う。
感情的に怒りをぶつけてはいけないとは思うが、親にも、あなたのこんな発言、押し付けの思想により私は怒りを感じます。と、意思表明する事は大切な事ではないかと感じるのでした。