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魂のカリキュラム

カウンセラーさんとお話をしている時にあまりの私の頑固な心に

 

随分と魂のカリキュラムを難しく設定して産まれてきたんだね

 

と言われた事がありました。

 

人は産まれてくる前に自分で、学びの目的カリキュラムを選んでくるんだそうです。本当なのかどうなのかは分からないけど、なんとなく思い当たる節があって。

 

子供の頃、自分は修行をするため、魂を磨くために現世に産まれてきたんだという感覚がありました。かなり小さい頃からです。前世でよっぽど悪いことしたんでしょうか。でも本当に自分で選んだプログラムなら、残さずこなすべきです。そう考えるとなんだか楽になった記憶があります。

 

自分の事を特別なんだ、と思っていた事もありました。周りのお友達の遊びを客観的に見ていたというか。常に外側から物事を考えている所がありました。その他大勢というか、普通の人生なんて送りたくない。これはスピリチュアルな感覚に違いない!と小さい頃の私は思っていたのですが、カウンセラーの先生にそれは違うよ!と、、

 

アドラー心理学で話題になった本、嫌われる勇気にもありますが、優越性の追求という普遍的な欲求がひとにはあります。人より特別であろうとする欲求のことです。子供にとっては最も身近な存在、親にとって良い特別な存在であろうとし、それが叶わないと悪い方向で特別であろうとします。どちらも目的は同じ、他者の注目を集め「普通」状態から脱し、「特別な存在」になること。

 

私は親からの期待に答えられるようなスペックは持ち合わせていなかったので、スピリチュアル的に特別なのだと思い込みをする事で精神の崩壊を止めたのかもしれません。

 

「普通であることの勇気」を持つ事ができたら世界の見え方はいっぺんすると書籍にもありますが、同じ事をカウンセラーさんからもいわれました。

 

私は特別良くも悪くもなく、普通の人間である。人はみな対等で同じ位置にいる。信用するしないの対象としてではなく、仲間としてみなし、信頼のうえで行動をする。もしかしたら、これが大きなカリキュラムのテーマとして組んで産まれてきたのかもしれない。まだまだ全て受け入れるのは難しいけれども。どうしても劣等感から抜け出せません。

 

そんなふうに、カリキュラム組んできたんだぁーってぼんやり認知するだけでも、自分にふりかかる数々の困難に立ち向かう心構えが出来るようになりました。ちなみに私にはスピリチュアルな能力は全くなく、至って普通の人間であり、密やかにがっかりしたのでした。。