観音様と年越し。
今週のお題「年末年始の風景」
年末は鎌倉の長谷観音に家族で行くのが恒例になっていまして、今年も家族で初詣に行く事が出来ました。長谷観音では、お願いごとを書いた万灯祈願が並べられていてうちの子供たちはカップに願い事を書いて並べるのを毎年楽しみにしています。
風に温かい光が揺らめいて、仄かに照らされた建物と円形に並べられたロウソク、本当に幻想的な風景を見る事ができます。
日が変わる10分前に、観音様の元に移動、夜に拝む観音様は本当に綺麗!お経が常にあげられているのでこれもまたおごそかで心が洗われたような気分でした。。観音様の雰囲気を伝えたいと思うんですけど、写真禁止なんです。なので、見たい方は長谷観音のホームページで見てみて下さいね。紫陽花で有名なお寺です。
家に帰宅出来たのは午前4時ごろだったのですが、この時間にしか見れない火星を見ようと息子が望遠鏡を持ちだし、東の空の火星を見ました。赤くて幻想的な星です。時期により、もっと大きく見ることもできるんだとか。
お正月に暇を持て余していたので、どこかに行きたいなーという話になったのですが、私の富士山がみたい!というワガママと河口湖に行きたいという息子のリクエストが合致し、河口湖、山中湖に行ってきました。
富士山、綺麗だったなぁー。雪は山頂にちょびっと。やっぱり少なめなのかな??
山中湖はもっとローカルな感じで、落ち着いた雰囲気でした。オシャレなレストランとかが多くてビックリ。
三脚持っていかなかったので写真に撮ることが出来なかったのですが、山中湖近くのパノラマ台っていう所で富士山と夜景と星がとっても綺麗に見えました。カップルがぞくぞくと来ていたのでデートスポットなんでしょうね。子供と一緒に安全に見れる天体観測スポット、もっと調べて行って開発していきたいです。
そして本日は、深大寺にお蕎麦食べに行ってきました。毎年人がたくさんで賑わっています。でも、嫌な混み方じゃないとこが好き。
お蕎麦が美味しい事もさながら、わんちゃんも配慮してくれるお店も多いのでオススメスポットです^_^
ただ、年始の深大寺って車とめるの苦労するかもー。バスとかで行った方が楽かもしれないですね。
ゲゲゲの鬼太郎茶屋があります。可愛いグッズたくさん売ってます。
きたろうだいすき。
今年もブログの更新頑張ります!ちょいと息抜き的な話題でした。
昼間の眠気
やりたい事が山ほど溜まっていて、仕事を休職して家にいる今こそ片っ端から片付けていこう!と意気込んでいたのですが、どうも怠くて眠い状態から抜け出せない時があります。
今は睡眠薬を飲んで寝ていますので、夜の睡眠は安定してきているおかげで、昼間に立ち上がるのが辛いほどの睡魔には襲われなくなりました。でも、夕方どうしても横になってしまうことがあって。なんか悔しい気持ちになります。昼寝しても質の良い睡眠取れるわけではないんですよね。偏頭痛になってかえって疲れちゃったりするわけで。
昼間の睡魔対策、調べてまとめてみました。
・規則的な生活をして体内時計を整える
これは基本ですよね。分かってはいます…。なかなかね。私は夜に交感神経が昂ぶってしまってなかなか寝付けないのでどうしてもダメな時は睡眠薬を使ってリズムを整えています。夜寝れるってだけでだいぶ、昼間楽に動けます。
・昼食は消化の良いものを腹八分目
昼食を摂りすぎると眠くなりますよね。血液が消化器官に集中し消化活動が活発化。反面、脳は酸欠気味になり眠気を感じるんだそう。
朝食べないので、昼にカロリー高いものをお腹いっぱい食べてしまっていました。眠気、怠さのもとだったんですね…
どうしても眠い時は、コーヒー、緑茶などのカフェインを含んだものを飲んでから20分程度寝る。カフェインが効いてくるのにタイムラグがあるので効いてきた頃に起きればスッキリ目覚められるのだそう。私は入眠が苦手なのでなかなかこの方法は聞きません。。昼寝出来ないから、日中辛さが抜けないんだよなぁ。
・交感神経を優位にする。
両手を同時にグーパーを繰り返す、深呼吸やストレッチをする。朝起きたら冷たい水を一杯飲む。コーヒーなどカフェインも優位に持っていってくれるみたいです。太陽の光を浴びる。
ここまで調べてみたのですが、要するに規則正しい生活と、バランスの良い食事、適度な運動が一番なわけです。当たり前な結論ですね。
でもここまで書いてみて思った事があるんです。
現代人はどうしてここまで慢性的な異常な疲労感と戦っているのでしょう。
思うんですが、
やりたくない事をやっているからだと思うんです。
ボロボロになるまですり減らして働くと、交感神経優位な生活環境に浸っているため自律神経が乱れます。副交感神経優位な状態が非常に少ない、リラックスしている時間が無いのです。
ひとはマゾ的な部分も持ち合わせています。どこかで自分が社会や環境にプレッシャーをかけられたり、追い詰められていたりするのを居心地が良いとする自分もいるのでしょう。居心地の良い場所を守る為、無意識のうちに、 怠くてやりたい事を出来ない環境を選んでいるのでしょう。
本当に、この状態から抜けたければ抜けれるはずなんです。自分の環境は全て自分が作り上げているのです。
私は仕事に行かなくなり、対人関係も無理せず自分のペースでと心がけるようにした所、まだ日中怠さと戦う時間もありますが前とは比べものにならないくらい楽になりました。
まだ、自分の本当にやりたい事、新しい事をしようとすると頭がモヤモヤっとなり明らかに新しい自分を怖がり邪魔をしてくるエゴの部分を感じるのですが、負けないでコツコツ頑張りたいです。
日々心のトレーニング!
環境優位の生活を繰り返すのではなく、自分優位の環境を創造すればネガティヴな疲労感から解放されるのかもしれませんね。
注意欠陥症候群、職場で困るは避けられない。
注意欠陥症候群、職場で困る、は避けられない。
というか、集団であればあるほどADHDってパニックをおこしやすいと思う。あたしだけかしら。
私の職場ではかなり良心的に見守っていただきました。カレンダーのような表をよんだり、数を数えたりするのが苦手というのをカミングアウトさせていただきミスをしてしまっても励まして応援してくれました。本当に有り難いことです。
出来ない、分かってもらえない苦しみを抱えながら毎日仕事に行くには本当に苦しい事だと思います。そんな毎日をおくられているかた、いらっしゃいますかね。
そんな方の苦しみ、本当によく分かります。
前より全然生きるのは楽になりました。沢山の努力と苦行を受けてきたので。でもやっぱりミスっちゃうんです。みんな出来て当たり前の事が出来ないから。例えばどれとどれを組み合わせたらお得か、計算して。と言われてももうパニックのみです。消費税の計算すら危ういです。なんていうんだろう‥独特の頭の中がモヤモヤ〜〜っとした感じになって、霧がかって周りが見えなくなってピンポイントしか読めなくなっちゃう、そんな感覚。。
でも幸い、訓練、努力を重ねると方法は違えど、普通の出来る人と同じように出来るように見せかける事は出来るようになります。変な言い回しですが‥計算式は違うんだけど、同じような答えを導きだせるとかそんなイメージかな。
私の場合、細かい事でもメモをとる。その場で理解していなくても時間をかけて頭に入ってくる場合もあるので書く事を忘れない。イレギュラーでパニクってしまった時の手順を自分なりに癖づける。ごまかしの能力ですね。ごまかした後、時間がある時に分からなかった所をちゃんと解決してから帰る。
本当に社会に出るの恐怖です。。
どんなに頑張っても出来ないものは出来ないから。
自分がしたミスの事、してしまったミス、おこるのではないかというミス、考えるだけで夜寝れません。完璧ではいられないのだからと分かっているのですが、やはり人と同じ事が出来ないという劣等感に苦しんでしまうんです。
でも、他人がどうこうしてくれる問題ではないので自分で向き合って解決していくしかないんです。持って産まれたものなのでしょうがないですね‥。
それでも、他人と関わりを持って働けた、接客というものを体験出来たことに本当に感謝しています。喜びや笑顔を共有できるっていうのは素晴らしいことだと思います。
こんなちっぽけな存在ですが、笑顔になって帰って頂けた時は本当に心がぽかぽかします。大変な思いをして働いていても本当に良かったなと思います。
なんか、これを書いていて気づいた事があったんだけど、仕事を休職した理由にそのミスが止まらなかったっていう面ともうひとつ、いくら真心をこめてお客さんに笑顔になってもらおうと頑張って尽くして貢献しても仕事仲間からの「ありがとう」の言葉のバックが無くなってしまった事があります。
例えば家族の食器洗いをしていて、貢献しているのにありがとうとか感謝の態度を得られなかったら寂しさや孤独感を感じてしまうとして、それはどうしてかというと家族という共同体を仲間という感覚で捉えていないから。もし、本当の信頼出来る仲間として食器を洗うという他者への貢献をしていたのならそこに感謝の言葉の要求というのはなくなるんでしょう。与えるという感覚を持つ事が大切ですね。自己犠牲ではなく。
私は自己犠牲をはらい、職場の人から褒めてもらえない事に腹をたてていたのかもしれません。自己需要を他人に求めていたのかも。
より大きい共同体感覚を分かるために、これからも修行していきたいです‥
さっき飲んだデパスが効いてきてふらふらしてきたのでまた今度‥
雑な終わりとなってしまいました。
毒親からの解毒作業中‥
ネットで毒親ってワードがたくさんひっかかるんだけど、これは要は、親に洗脳されてるっていう状態なんだよね。今日、辺見マリさんのしくじり先生を見てて洗脳っていう状態について深く考えた。辺見マリさんはあかの他人から洗脳されてたわけだけれども、何かおかしいとどこか気付きながらもその状態にすがり続けたわけで…私は母からの洗脳状態のまま23歳くらいまで生きてきた。。この事について、いつか書いて消化したいな、と思っていました。
今回のブログテーマが決まりました所で、自分なりに色々まとめてみたいと思います。おつきあいよろしくお願いいたします。。
毒になる母親とは
- 子供をペットのように支配し扱う
- 子供の人生に悪影響を与えるような育て方をしている
- 肉体的、精神的、性的な虐待
- 放置、ネグレクト
- 過干渉
など、なんだか凄いワードが並んでいますが実際はもっと生活にとけ込んでいるというか、子も、親自身も洗脳している、されている感覚が無いままに生活しているのかも。もし成長過程で親からの過剰なプレッシャーにより心がぎゅっと苦しくなったりした経験があるのならあなたにとって毒になっているのだと思います。
うちは過干渉タイプでした。遊ぶ友達の環境から、帰宅の時間から着る洋服から何から支配されていました。破ると叩かれるのは当たり前で、外に出されたり、物を壊されたりもありました。私が一番嫌だったのは、子供を叩くと痛いのは親の心の方だと言われる事でした。無意識に、暴力をふるうという罪悪感さえも「子供のため」に変換していたのだと思います。
小さいうちは、親に育児を放棄されてしまうと子供は死んでしまいます。本能でそれを分かっているので、言うことをきこう、機嫌をとろうと必死になります。毒親の子供は親の人生を歩き始めます。自分の自我を押し込めて、生きるという選択をします。
私自身、娘が産まれて育てて分かったのですが、子供は絶対に愛おしいし可愛いんです。だからこそ、自分の負の部分を受け継いだ人生を歩ませたり、失敗はさせたくない、困難を先回りして除雪してあげたい。そう思っちゃうんですよね。その思いが行きすぎると過干渉となり、プレッシャーとなり、心の支配、洗脳に繋がっていくんです。知らず知らずのうちに。毒親は、可愛い自分の子供に成功を味あわせてあげるために、自分の人生をやり直すかのように教育し、干渉します。その行き過ぎた気持ちに答えきれなくなった子供は精神的に不安定になるのは間違いないですよね。
私は常に誰かに自分をチェックされているのではという極度の神経症となり、着る服を自由に選ぶ事さえも出来なくなりました。安心して着れるのは母が選んで買ってくれるブランドの服のみ。本当にしんどい子供時代でした。
それでも、まさか親の価値観の中で生きているなんて思いもしなかったんです。私が馬鹿で勉強でも期待に答えられないし、容姿も綺麗じゃない、秀でているとこなんてひとつもないのだから、怒られて叩かれるのは自分の価値がゼロだからだと思っていました。
でも、結婚をし、子供が産まれた事から解毒が始まりました。酷い鬱と神経症の状態でしたが、このままではいけないとセラピーにて自分の洗脳状態に気づく事が出来たのです。
解毒の最初の一歩は、なんといっても離れること。次は親を疑い、気づくこと。これが洗脳を解いていく鍵となります。思っていることを全て言葉にすること。これは、信頼出来るカウンセラーさんと巡り会えれば、そこでセッションする事によりより早く洗脳が解けて行くと思います。
まずはありのままの自分の状態を受け入れましょう。怒りを受け止めてあげましょう。もしかしたら、その子(押し込めた自我、あなたの純粋な置き去りになった心)は、おかあさん、おとうさんのためだから我慢してがんばる。と言うかもしれません。それは、愛されたいからですよね。愛してもらうのは、他人じゃなくてもいいんです。自分で愛してあげらるんです。自分がんばれ!がんばれ!ではなくて、そのまま、ありのままを抱きしめて受け入れてあげられれば良いのだと思います。だって、小さい頃に親にしてもらいたかった事って100点とって褒めてもらうっていう経過じゃなくて、あなたがそこにいてくれるだけで幸せ、愛してるよ。そういって受け入れてもらえる事ですよね。
私もまだまだ、親との共依存関係がすっぱり清算されているわけではありません。なんでも時間がかかりますね‥
何かあると頼ってしまうんです。病院連れてって〜とか。でも、以前みたいに全部イエス、と受け入れるのではなくて、やりたくない、受け入れたくない考え方などは、ノーと言えるようになりました。
あ、ノーを突きつけるのは喧嘩になるかもしれませんが効果絶大です。親の言う事だから‥と無理矢理聞き入れるのではなく、受け入れられない気持ちをちゃんと伝える努力を私はしています。
不思議と前よりも良い関係と距離感を保てていると思います。
以前の自分より、好きな事はすき、やりたいと自分の人生を歩んでる実感は格段にありますし、リラックス出来る時間も増えました。神経症もかなり良くなりました。
なんとなく、書きたい事、かききれなかったな‥まだモヤモヤした部分があります。また、今度、心の整理が進んできたら改めて書いてみたいと思います。
ブログを始めてみて思ったこと。
今年は突然仕事を辞める事にしまして(休職という状態になっていますが)
生活で何かサイクルを変えたいと思い、ブログを始めてみたわけです。
自分の頭の中を整理すると同時に、ADHD、鬱、対人恐怖症、神経症を患ってきた自分の経験、体験談が何か他の人の心にひっかかる事もあるのかもしれないと思ったから。
行動を伴わない思考は何にもならないので、とにかく何か行動を起こしてみようと思った。
今までのアクセス数はそんなに多いわけではないんだけれども、それでも、100人、200人に出会い、自分の事を話す機会なんてとても無いわけだからブログってすごいなと思いました。
来年はカメラを持っていろんな場所に行ってみたいです。
2015年は気づきの年だったので、2016年は飛躍のとしになるといいな〜
こんなちっぽけなブログですが、手を止めて読んで下さったみなさま、
本当に有り難うございました。心より感謝致します。
みなさまにとって、2016年が素晴らしい一年となりますように!
ワーキングメモリが少ない子と学校の溝
私はADHDがあり義務教育期間は苦しい思いをして過ごしてきましたが、私の子供達も障害にはひっかかりませんでしたがマイペースなため、少なからず苦労している所があるようで。。
息子は幼稚園では何の問題もなく過ごしてきましたが、学校に入ると先生から問題点をちょくちょく指摘されるようになりました。こちらとしては、ガツンと先生から指導して下さい、家庭でも毎日様子を聞いて話し合い対処していきますと伝えたのだけれど、あまりに先生が苦戦しているようだったので市の相談センターに相談して見る事にしました。
相談センターで分かったのは、息子はワーキングメモリが平均より少し少ないという事でした。
ワーキングメモリとは
心のメモ。
短い時間に心の中で情報を保持し、同時に処理する能力のこと。
会話、読み書き、計算などの基礎となる日常生活や学習を支える重要な能力。
創造性のある思考をする時にも重要な役割をはたす
- 脳のワーキングメモリがうまく働かないと学校では何が問題か
ワーキングメモリが少ないタイプは生活に多々支障が出ます。例えば、おつりの計算が出来ないなど、少し前の事を覚えているのがすごく苦手な為、会話も気づくと内容を理解していないなんて事がしばしばあります。集団行動で苦戦する場面が多いかもしれません。
ワーキングメモリがうまく使えていないと、先生のお話を聞きながら何かをするのがすごく苦手なため、「これとこれを持って音楽室に行ってください。」などの指示があった時、自分はいたって真剣に聞いていたつもりでも訳が分からなくなってしまいます。持ち物に注意が行っているとどこに移動するのか分からなくなってしまうのです。私自身は自己防衛で、分からないけどわかっている態度が出来るようになってしまっていたため、先生に反抗的な態度をとるやっかいな子として扱われました。
先生の話を聞きながらノートを書くというのも苦手なので、もはやまわりと足並みを揃えるというのがとても難しくなってきます。そういう子に対して先生は、個別に指導しなくてはいけなくなってきます。その子のレベルに合わせた言葉で「持ち物はこれ。これを持って二時間目は音楽室に行ってね。」というふうに。
先生もやる事はたくさんありますし、貴重な時間をそこばかりに使うわけにもいきません。だんだんその子は置き去りになり、理解出来ない授業が行われている時はただ椅子に座り妄想にふける、立ち歩いて自分の興味がある方向に関心がむいてしまうといった傾向があるように思えます。
そこで先生は、自分の話、授業に興味が向かない子は放置し、時間が許すときや目にあまった時に、がーーーっと怒る、注意をするといった行動に出る事があります。私自信、出来ない事を一生懸命やろうとしているのに出来ないといった葛藤の中で生きていましたから、まとめて怒られるという大人の行動にとても傷つき失望してきました。
その「出来ない」という事実だけをすくって家庭に連絡がくると、当然その子は親からもどうしてみんなと同じ事ができないんだ!!と怒られるわけです。どこかで大人が溝を埋めてあげないと、負のスパイラルに発展してしまいます。
- ワーキングメモリが少ない人は覚えるのが苦手なのではなく「注意の移動」が苦手
注意の移動が苦手とは、覚えていなくもいい対象に注意が向けられていたりする状態だそう。確かにそうかもしれません。
最近実際にあった出来事ですが、子供に学校に大根を300グラム持っていかなきゃいけないと大騒ぎされた事がありまして、何が問題だったかというと前日の夜中、もうスーパーが閉まっている時間だったわけです。親はパニックです。。自己責任だ、自分でなんとかしろという訳にもいかず、持っていかないとグループ全員に迷惑がかかるので遠くの24時間スーパーに買いに行って朝には用意しました。学校から帰ってきて、大丈夫だったかと聞くと、「必要なのは今日じゃなかった」と衝撃の一言‥!だいこん、300グラム必要というワードばかりに頭がいってしまったため、いつ必要かという事まで覚えられなかったのでしょう‥。
- 親、大人がとるべき対応
こういったマイペースな子に対して、私も絶賛悩み中なので的確なアドバイスは出来ないかもしれませんが、見守りつつ落ちてきたら下から支えてあげる感覚が一番なのかなと思います。本人なりにうまく集団でやっていこうと努力している所は絶対にあるはず。すぐにワーキングメモリを鍛えて明日には結果が出るというものではないので、長く何年もかかるものとしてゆったりと認知し、フォローしてあげる事が大切だと思います。大人が投げ出したら終わりです。あまり手を出して助けすぎてしまうと、出来ない事を出来るようになろうという努力をしなくなってしまいますので、あくまで一歩引いた所で手を離さないようにしてあげるというのが良いのかな‥と。
そういった考えのもと、長い目で成長を見守りたいと子育てをしているのですが、現実からは学校から沢山の連絡がくるわけです。皆と同じ事が出来ないと。(主に忘れ物ですが)
学校で集団行動がうまく取れず苦労してきた私が子供にアドバイスしている事は、
- ちょっとした事、その場で覚えていられると思った事もメモにとる
- とったメモは同じ場所にいれるという習慣をつける
- ワードの関連付け、イメージを持って記憶をする癖をつける
もっとも、うちの子供達は学校から駄目だしをくらってもそこまで悩んだりしてなさそうですが。。
ポジティブでいてくれるというのが一番私にとっては嬉しい事です!
出来ないよりは、出来た方が良いわけで、出来ない事で自尊心が低くなってしまうのはもったいないといつも思います。苦手な分野でこそ努力が必要なのだと感じます。
でも、すぐに生まれ変わったように出来るようになるわけじゃない。
長い目で、信じてあげることこそが子供の成長につながるのかもしれませんね。
ワーキングメモリーとコミュニケーションの基礎を育てる 聞きとりワークシート1言われたことをよく聞こう 編 ( )
- 作者: NPOフトゥーロ LD発達相談センターかながわ
- 出版社/メーカー: かもがわ出版
- 発売日: 2014/11/01
- メディア: 大型本
- この商品を含むブログを見る
発達の気になる子の 学習・運動が楽しくなる ビジョントレーニング (発達障害を考える・心をつなぐ)
- 作者: 北出勝也
- 出版社/メーカー: ナツメ社
- 発売日: 2015/05/08
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
第2子にだけピアノを習わせている理由
子供が大きくなってくると、多くの親御さんが迷うのは何の習い事をさせるかだと思います。
うちには2人の子供がいますが、上の娘にはピアノは習わせていません。繰り返し練習があまり得意ではないことと、同性である私から注意をされるのを嫌がる事から習い事からピアノという選択肢を入れませんでした。
娘はバレエを習っています。うちはあくまで精神と肉体を鍛えるツールとしてやっているので本人の性格に合ったようで長く続けられています。全くバレエに対しての知識が無いので口出しする事もなく、娘が出来ない事にイライラしません。
肝心のピアノですが、息子は鍵盤に興味をもち弾き始めたのと、練習がそこまで嫌いな様子では無かった事から習わせてみる事にしました。もちろん習いたいと本人の意思もあったのですが、幼稚園年長さんくらいの子の意思なんてフヤフヤなんです。最初は集中して一人で弾いていましたが、男の子の集中力は単発的なのであっと言う間に冷めてしまいました。
今では多少難しい曲が弾けるようにはなりましたが、練習のたびに横に座り一緒に符読みをし、一緒に弾いてあげるという、私の練習なのかと思うようなモヤモヤした日々もありました。それでも、ドビュッシーの曲や、トルコ行進曲、エリーゼのために、など有名どころを弾いてみたいという夢はあるようで、弾けるようになった時にはかなりの達成感を得れたようです。
ピアノの習い事って親が大変と周りのママさん達もよく漏らします。
私も、自分で符読みして弾ける所までやってくれたら楽なのになぁと思ったりします。
それでもやらせているのは‥
- 難しい曲、憧れの曲をひけるようになった時の達成感を覚えてもらうため
- 脳のワーキングメモリを発達させる訓練になるため
- 多動の気が少しあり、45分間のレッスンの中で集中力を養ってもらうため
- 何よりも音楽を好きになってもらいたいから
息子は驚くほど譜面が読めません。でも、この曲が弾きたいという気持ちが走るとその年代にしては難しいと言われる曲を弾く事もあります。その時の集中力は半端ではありません。何よりも本人の中で、苦労の末ひけるようになったという自信が芽生えるようです。親ががんばって寄り添うようにサポートしてあげる体勢があるのだったら、自尊心を育てるのに多いに役立つ習い事なのかもしれません。
子供の習い事の大半は、親の経験から選別されるのだそうです。
ここにもしかしたら親が悩む原因があるのかもしれません。
本当にこの子はこれをやりたいのだろうか‥小さいうちは特に悩む人が多いです。
でも大きくなってくると意思がはっきりしてきます。娘も幼い感じだったのに10歳を超えると意思がとても強くなり自我が芽生えてきたのをひしひしと感じます。
それまで子供の心を親がコントロールしすぎる事なく、一緒に夢や達成感を追うのが理想なのかな、と感じるのでした。。