写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

鬱からの脱却

 今、すんごい疲れていてあまり頭がまわりません。そこまで疲れる事はしていないのだけれどこの時間っていつも疲労感が辛いです。体力的に疲れてないのに、だるさ、疲労感がえげつない時って何か潜在意識、エゴが働いてる気がする。新しい事を始めようとしている自分を押し込めようとしてエゴが暗躍しているのかも、なんて思ったりします。

 

鬱が軽減した事について語りたい。

さて、ブログを始めた理由に長い長い鬱状態のはてになんとなく見えてきたものを書き残したかったというのがあります。鬱っていうのは本当に辛いもので。

10代の頃はよく分からない自分の中のドロドロに飲み込まれ戦っていた感じ。世界のどこからも相手にされず、孤独で一人きりで、いなくなれと言われているような気がしました。被害妄想も半端ではないので、授業中自分がゴミのように感じてしまい悲しくなって突然シクシク泣き出したり‥めんどくさい奴です。服装や、容姿についてなど、母に事細かに口を出されていたものですから、自分で服を選んで着るという事が怖くて出来ませんでした。あなたは黒が似合う、いつもそう言われてたので、自分で選べるのは黒い服ばかり。友達から魔女と呼ばれていました。神経症になり、服のぼたんひとつ外して歩く事が出来なかったのです。首もとのボタンを外すといういつもと違う事を自発的にすると、すれ違う人全てに笑われてる気がしました。家では、外での自分の行動が脳の中をぐるぐるエンドレスにめぐりフラッシュバックするので、それをかき消すために髪の毛をむしりながら大声をだして発狂していました。

 

あまりに小さい時から、自殺、消える、という事ばかり考えていたのでそれが自然というか、普通がどういう事なのかよく分かりませんでした。転機が訪れたのは高校の時、担任の先生が母に心療内科に連れて行って投薬治療を受けたらどうかと提案してくれた事でした。当然母は、うちの子にそんな必要ないと反発していましたが、リストカット、自殺願望があまりに酷くて渋々連れて行ってくれたのです。そこはあまり良い心療内科ではありませんでした。気持ちについてのアンケートを書かされ、診察室に呼ばれ、先生が質問をすると全て母が受け答え、私はほとんどしゃべらなかった。でも先生は「軽い鬱ですね」と言い、次に「薬を出します」と。大量の安定剤と睡眠薬を出してくれました。

 

私は嫌な事があると睡眠薬を飲み、逃げる事が出来るようになりました。悲しくなったり、絶望感が迫ってくるのを感じると薬を多めに飲み、2日、3日とほぼ寝ている状態でその時をやり過ごしました。あまり健全ではありませんが、寝ている時は、逃げ出す事の出来ない家族から逃げる事が出来たのです。

 

そんな状態で何年かすごし、高校卒業後、美術の専門学校へと進みました。そこには私よりも変な人たちが沢山いて、同じような鬱を煩っていたり、メンヘラちゃん友達がいっぱい出来たので義務教育間に感じていた孤独はかなり減少させる事が出来ました。でも根本からの解決にはなっていないので、何か他人から言われると、例えば「この作品は駄目だね」みたいな事を言われるとすぐに奈落の底まで落ちて、いとも簡単に鬱状態に戻りました。

 

鬱が良い方向に向かったのは子供が産まれた事がきっかけでした。産まれた後は、酷かったんだけど、この子の為に普通のお母さんになりたい!どうにかしたい!って心底思いました。

孤独の淵から這い上がる為には

 

自分の根本を見つめる、潜在意識を見つめる事で癒しが起こります。まずは自分のありのままを知り、受け止める事です。

そこに感情はいりません。ただ自分の心を傍観するんです。私の場合、解釈はあとからついてきました。鬱の人は、自分の心の中を見つめ声を聞いている自問自答状態にあると思いますが、自分の事をよく分かっているようで分かっていないんです。私は良い先生に出会えて、自分のインナーチャイルドに対面する事が出来て本当によかった。カウンセリングの必要性を心底理解しました。

 

一人で解決する事は難しい。

 鬱で苦しい思いをしている人がいらっしゃいましたら、あなたに寄り添ってくれる人ができますように‥。孤独を感じている人がいらっしゃいましたら、ただ話をきいて、うなずいて受け止めてくれますように。

 

私はセラピーに通って、母からのトラウマと、自分の作り上げた思考の装備に気づく事により、鬱からの脱却の第一歩となりました。いまだに完全によくはなっていませんが、普通の状態がこんなに楽なんだと、普通の人はずるいなぁと思いました。

 

長くなりましたのでまた次回‥