写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

怒りは出し入れ可能な道具である

 

 

 

久々に怒りの感情をぶつけた出来事があった。

 

クリスマスの食事を用意してくれていた母に、これ持っていってテーブルに並べてと言われたのだが、息子のリクエストに応え海外のサイトにアクセスしてサンタ追跡サイトの英語を必死に読んでいた時だった。必死になっていた為、ちょっとまって、と言った所、母の機嫌が悪くなり、ため息をついたりあからさまに嫌な顔をされたり、それくらいの事でそんな態度を取られると思っていなかったのでなんだか非常に腹が立った。

 

母は多分、自分が必死に家族の料理を準備しているのにすぐに運ぶという対応をしてくれなかった事に腹が立ったのだろう。

 

一方私は、そこに置いといて、きりが良くなったらすぐに運ぶからくらいの気持ちだったため、思いもがけず、相手の都合にそった態度をとらなかった事で

ため息ついたり見下されると思っていなかったので非常に腹がたち、これは怒りという道具を出して相手に見せても良いケースなのかもしれないと、静かに怒りをぶつけてみたのである。

昔は、親の言う事は絶対服従であると思っていた。でも、人はみな対等なのである。お互いに発言権もあるし、どちらかがどちらを制圧するような事は親子関係でもしてはいけない事なのだと思う。

 

感情的に怒りをぶつけてはいけないとは思うが、親にも、あなたのこんな発言、押し付けの思想により私は怒りを感じます。と、意思表明する事は大切な事ではないかと感じるのでした。