写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

夫との喧嘩のネタはいつも同じ

家族をネタに不幸でいられることが非常に腹がたつ

 

お前の人生そのままでいいのか?社畜のまま、家族と会社に人生捧げて終わるのか??

 

そんな気持ちが押さえられなくなった時に彼にぶつけてしまう気持ち。

 

夫婦だけど、彼の考えている本当の気持ちは読み切れない。彼も一緒。私の考えている事は分からない。

 

そしてお互い気持ちを伝えきれないでいる。毎日同じ家で暮らしている夫婦であっても。

 

夫は絵を描く人です。そんでずっと、本当は絵やデザインでやっていきたいって思っている気持ちがあります。でも、家族があるからあぶない橋は渡れないと、環境を変えるのを怖がります。

 

7、8年くらい前かな。彼の絵が結構評価されまして、ブランドからTシャツが出たり、雑誌に取り上げてもらったりって事があったんです。でも、それはラッキースケベ的な一時的なもので、後には続かなかった。生活のほとんどの時間を会社で費やし、絵を描けるじかんはほんのわずか。終電も最寄りの駅で停まるものではなく手前の車庫がある駅停まりの電車に乗って帰ってきて、一時間近く歩いて帰ってくるような社畜っぷりでした。

 

働くと、会社の中での責任も生じますし、みなが徹夜して床で寝ているような環境を背に自分だけ帰ってくるのは申し訳ないとその事を夫はずっと唱えていました。家族がいるのを理由に帰ってこれるだけましだとも言っていました。

 

でも、日に日に、見るからに廃人になっていくんです。それで、精神も落ち込んじゃってるんで、長生き出来ないみたいな事も言ったりするんです。

 

当たり前ですが、心配しますよね。

 

いいよ?別に他の会社考えたりしても、環境変えないと何も変わらないんじゃない?って提案してみても、家族がいるからすぐには出来ない。の繰り返し。

 

もし、今の環境より悪くなっちゃってもなるようにしかならないし、絵やデザインの仕事を自宅でするのだったら、私が本格的に働きに出るし、支えるし応援するよ。駄目だったら他の手うとうよって。私は毎回促すんですけど、


これって、彼の才能を信じているから言える事でもあって、嫉妬をしているからでもあるんです。

 

でも彼は頑に、その環境を10年近く自分から変えようとはしませんでした。残業代も当時は出なかったのに、それはもうロボットみたいに働きまくっていたわけです。今は会社の中で問題が起こったらしく、当時よりは徹夜や、ひと駅前の終電で帰ってくる事はなくなりましたが、今も10時11時頃にかえってくると非常にびっくりする感じです。具合わるいの??平気!?って。

 

今は、彼のやりたいようにやっているんだから、ほっとこって割り切っている部分がほとんどなんですけど、田舎に住んで農業やりたい、疲れたとか言うとなんかカチンときます。じゃあやろうよ、環境変えようよって。自分に自信持てよ!って。

 

それで、昨日も同じくだりの話になり、会社辞めて違う環境になりたいって彼が言っていて、じゃあ履歴書かいたり時間作ったりするとこから始めれば?って私が言って、でもまだすぐじゃないかな‥ってまた言っていて。

 

自分がいなくても大丈夫なような環境、システム作りをしないと会社は辞める事が出来ないって口にしていて、長くつとめると彼ありきの流れもあるようで。私は全く理解が出来なかった。やりがいのある仕事、恩がある場所に対してだったら理解が出来るんですけど、全く持ってそうでもないらしくて。

 

私は決して、彼に会社を辞めて欲しいのではなく、やりたい事をやれば??と単純に思うのです。

 

はたから見たら、やりたい事を犠牲にして家族の為に働いてくれている良い旦那さんなんですけどね‥。

周りにその話をしたりすると、責任感を感じている彼の行動も理解できると言われる事がほとんどで。社畜であっても、仕事をまっとうする彼の姿は素晴らしいと。。

 

普段、会社で働いている姿を見ていないので、もしかしたらそこで得られているもの、居心地の良い環境もあるのかもしれません。

 

家庭では、愚痴を言いたくなるだけかもしれません。

 

もっと時間があれば。。と。

私はただ、母のように受け止めてあげたらいいのかもしれない。大変な思いをして、働いてくれて、人生を捧げてくれてありがとう。そう言ってあげられたら、心の固まりを少し柔らかくすることができるかな?

 

そんなわけで、10年繰り返し、「人生楽しくないならやりたいことやんなよ」「それは社会的責任からできない」とこの会話→喧嘩をしています。いい加減飽きてきました。私もきっと、良くないんだろうな‥傷つけてしまうような言い方ばかりしてしまう。

 

反省してますよ。

そして、感謝もしていますよ‥

 

夫婦ってどこに向かうんでしょうね。

 

読者はかしこい

さいきん、読者はかしこいっていう記事を目にして、、

 

あー、そのとおりだな〜って思いました。

 

Yahoo!のトップページの記事読んでても、内容がうすい、充実してるのって頭よくない私でも感じる事ができますもん。

 

私はここでどんな記事を書いていくのかなってぼんやり考えました。

 

内容がとっても暗いから、暗いのはネタが暗いからしょうがないとして、もっとみなさんみたいにうまく伝えられるようなライティングが出来るようになりたい。

 

文章書くのって難しいですね。伝えるのって奥が深い。

 

ネットには沢山のブログ、文章が溢れているんだけれども、自分がブログ初めてみて書く事の難しさを実感ました。そして真面目に沢山のブログを読むようになって、本当に伝える力がある人の文章になんか心の芯を揺さぶられるような感覚も味わった。

 

ながらく子育てでヒーヒーいってたから、小説やら活字やらとは縁遠い生活をおくっていました。でも最近は時間をかけて集中して文章に向き合えるようになって良い時間を送れるようになったなって思います。

 

まだ書く時に、どう書いたら読んでくれるのかな〜とか環境優位の考えに陥ってしまって自分が何を書きたかったのか分からなくなってしまう事もあるんですけど‥。色々な方のブログの文章を通じて、その先やリアリティを感じ、自分もそんなブログスタイルを作り上げられたら。と思いました。

 

ここでは、自分の底の部分から素の文章を書くように訓練していきたいと思います。

始まりの憂鬱

明日から子供達は新学期になります。

 

今日は日中ずっとイライラ‥

 

明日から学校だっていうのに、宿題は終わってないし、今回は冬休みだからこれしか宿題出てないよ〜って言っていたのに、学校の支度を一緒に確認したらじゃんじゃん出てきたわけです。書き初めやらせようとしたら半紙なくしたとか、課題をやるためのプリントがないだとか。

 

だったら前もってもっと前段階で支度を一緒にやったら良いのにって思うのですが、ここが注意欠陥症候群の母のやらかしポイントで、子供の「宿題はこれとこれのみ」の自己申告に本当にそれだけだと思い込んでしまって、プリントを確かめたりそういった作業を後回しにしてしまうのです。だから、うちの子達の駄目だしを学校からされると半分以上は気づけなかった私のせいだとかなり落ち込みます。本当に駄目親です。鬱。。

 

うちのこ達は、学校や環境の上で出された課題に対して積極的に取り組んでこなそうっていう引き出しがいっさい無く、超マイペースでこの時間までにここまで終わらせるっていうのが凄い苦手。

 

上の娘は、私にあれやれ、これやれって言われるのが凄い嫌みたい。やらないくせに、超反抗してつっぱねる。

 

分かるよ‥おかあさんは分かってるんだよ。君たちの気持ちが。やりたくない気持ちも、やりたくない事をやらなきゃいけない気持ちも。

 

これだけ、心の中ではやりたくない事はやらなくてもいいんだ、やりたい事を全力でがんばれって思ってるのに、やっぱり親は言わざるをえないんですかね。

 

「学校は社会の縮小版、いまから与えられた課題を期間内に仕上げるっていう訓練をしてるんだよ。無くしたから、出来なかったから、やる意欲がなかったから提出しないっていうんじゃ社会人になった時にやっていけないの。だから与えられた課題は嫌でもこなしなさい。」

 

言ってて、自分で混乱しました。自由であれって思っているのに、一方ではルールに従えって言っている状況に。

 

子供が学校に入ってからずっとずっとこの壁にぶち当たるのです。すごくやりたいこと、夢があればそこに向かって努力することなんて雑作ないんでしょうが、そこまでモチベーションを上げられるような夢なんてまだ無いわけで。大半の子達が、学校や親に課せられた課題を期間内に仕上げていく、集団でコミュニケーションを学びながら大人になっていくわけです。

 

本当に休み中なーんもしないから、見かねた時にあれやれ、これやれって指示を与える事があるのですが、大人からの指示なんて子供にとっては面倒くさいだけであってやる気とは正反対の位置にあり、なんとなくふわ〜ってこなして、もう終わっていい?あと何分やればいい?って聞きまくられて、なんもやらない癖にやらせるとこれか。とイライラのループ地獄に陥るわけです。

 

成績がかんばしくないのは何とも思わないけど、何もしないっていうのはどうなんですかね。夢をもて!それに向かって努力しろって修造並みに訴える事もありますが、完全スルー状態です。大人になったら自分達でどうにかするようになるもんなのかな。

 

親がどこからどこまで穴埋めを手伝ってあげたらいいのかほんと悩みます。世の中のお父さん、子供がどこまで学校についていけてるのか課題はこなせてるのかの穴埋め作業、子育てに参加してお母さんを手伝ってあげてくださいね。本当助かると思いますよ。

 

怒らないでやる気の無い子に課題をこなさせるのは本当に厄介な案件です。。

誰か教えてください〜〜〜。やる気スイッチを押すコツを‥

 

みんな子供だったはずなのに、いつのまにか子供の気持ちを忘れてしまうんですよね。みんな迷いながら進んでいくわけで、何が正しいとかって判断しにくい問題なんだと思う。

 

冬休み中に、何かの記事で勉強が出来る親子がどういった子育てを行ってきたかのアンケートに、共有型の子育てをしたというのを目にしました。勉強や、生活などを子供に「やりなさい」となげっぱなしでおしまいというのでは無くて一緒に共有し習慣づけるという事なのでしょう。理想です。。

 

話題、ちょっと変わりますが、

準備が整っている人の所に 本当に自分がやりたい仕事はやってくる。

 

ある会社の社長さんがおっしゃっていた言葉ですが、準備ってそう考えると人生の必須項目かもしれないですね。学校では準備をする訓練をする所でもありますもんね。親は誰もが自分の子供が自由にやりたい事をやれるよう願っているものです。

 

学校=コミュニケーションを学ぶ場、将来やりたい仕事や夢のために準備を整える訓練をする場

 

そう思ったらこのイライラはちょっと何処かに収まりそうな気がする。

 

うん。

夫婦ってよくわからない。空気になるまでどれくらい‥

このあいだ、家族でスターウォーズを観に行ったんです。とても楽しみにしていたんですが、映像がすごいよく出来いて2Dで観たのに目がぐるんぐるん回っちゃって、周りを確認すると席から出口が遠く対角線上にひとつしか無い映画館でして、暗い、出れないかもしれない、密室というワードが頭をよぎった途端、軽いパニックになり過呼吸に。。

 

だんなさんをチラリと見ると、もう感動で泣いちゃってるわけですよ。スターウォーズの大ファンでして‥なので隣に座ってる娘に具合悪くなっちゃったから外に出るね、と耳打ちし、外に出て飲み物を飲みながらパニックが収まるのを待ちました。でもすぐに良くなったし、また妹と観に行こうと思っていたので特に残念な気持ちにもならず私は何も気にしていませんでした。家族には突然いなくなって席に帰らなかったので映画に集中出来たか申し訳なくはなりましたけど。

 

ここからが問題。帰宅後、だんなさんに猛烈に謝罪され地獄が始まったわけです。

 

「ごめんね、具合悪くなったのに、映画中断しないで見続けて‥オレ何やってたんだろう‥」といったふうに、私の顔見るたびにごめんの嵐。「いや、大丈夫だよ、こっちこそごめん」って軽く切り返していたんですけど、2日目夕方にとうとうかるくキレました。いや、キレたくはなかったんだけどね。あまりに謝り続けられると自分が悪いことしたような気持ちになっちゃったんです。具合悪くなってすいませんでしたね!みたいな。。

 

確かに以前の私だったら、どうして駄目な時に寄り添ってくれなかったのよ!!って言ったかもしれません。結婚したのだから、私の人生を背負ってくれて当たり前なんだと思い込んでいたんです。些細な事に気づいてくれなくてイライラを全面にぶつけまくっていた事もありました。

 

でも今は、そんな感覚あんまり無いんです。極端に言えば、本当に急病で救急車で運ばれるような事態になったとしても自分で全部なんとか処理出来るって思ってるんです。なるようにしかならないっていうか。夫婦だからって、どこからどこまでお互いのラインを踏み込むものなんですかね‥。

 

他人の事はコントロールする事は出来ません。だから人は支配をしようとするんでしょうね。

 

わたしたちは、他者の期待を満たすためにいきているのではありません。他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。

 

でも、何故他者の人生を生きてはいけないのでしょう。他者の為につくし、他者の人生を生きる人は沢山います。でも、どこかその人生で心が暗闇に覆われて行き先が分からなくなってしまうような事があればそれは改善すべき道なのかもしれません。共依存に気づき、自分の人生を取り戻すべきなんだと思います。

 

私は共依存に気づき、客観的にひも解くことを進んで取り組みました。今は喧嘩はほとんどしなくなりました。過度な期待もしなくなりました。がんばってほしいとは思ってますけどね。才能あるんだから‥

 

夫婦のあり方についてはまだ全然理解が出来ないっていうか、ふわふわしていますが、よく空気になるっていいますよね。。駄目な意味での空気じゃなくて、良い意味での空気がいいな。夫婦の事についてはまた、文献とか調べてくわしく調べてみたいです。

 

 

家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。

家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。

 

 おとことおんなの思考が交差することなんてあるんですかね。

 

魂のカリキュラム

カウンセラーさんとお話をしている時にあまりの私の頑固な心に

 

随分と魂のカリキュラムを難しく設定して産まれてきたんだね

 

と言われた事がありました。

 

人は産まれてくる前に自分で、学びの目的カリキュラムを選んでくるんだそうです。本当なのかどうなのかは分からないけど、なんとなく思い当たる節があって。

 

子供の頃、自分は修行をするため、魂を磨くために現世に産まれてきたんだという感覚がありました。かなり小さい頃からです。前世でよっぽど悪いことしたんでしょうか。でも本当に自分で選んだプログラムなら、残さずこなすべきです。そう考えるとなんだか楽になった記憶があります。

 

自分の事を特別なんだ、と思っていた事もありました。周りのお友達の遊びを客観的に見ていたというか。常に外側から物事を考えている所がありました。その他大勢というか、普通の人生なんて送りたくない。これはスピリチュアルな感覚に違いない!と小さい頃の私は思っていたのですが、カウンセラーの先生にそれは違うよ!と、、

 

アドラー心理学で話題になった本、嫌われる勇気にもありますが、優越性の追求という普遍的な欲求がひとにはあります。人より特別であろうとする欲求のことです。子供にとっては最も身近な存在、親にとって良い特別な存在であろうとし、それが叶わないと悪い方向で特別であろうとします。どちらも目的は同じ、他者の注目を集め「普通」状態から脱し、「特別な存在」になること。

 

私は親からの期待に答えられるようなスペックは持ち合わせていなかったので、スピリチュアル的に特別なのだと思い込みをする事で精神の崩壊を止めたのかもしれません。

 

「普通であることの勇気」を持つ事ができたら世界の見え方はいっぺんすると書籍にもありますが、同じ事をカウンセラーさんからもいわれました。

 

私は特別良くも悪くもなく、普通の人間である。人はみな対等で同じ位置にいる。信用するしないの対象としてではなく、仲間としてみなし、信頼のうえで行動をする。もしかしたら、これが大きなカリキュラムのテーマとして組んで産まれてきたのかもしれない。まだまだ全て受け入れるのは難しいけれども。どうしても劣等感から抜け出せません。

 

そんなふうに、カリキュラム組んできたんだぁーってぼんやり認知するだけでも、自分にふりかかる数々の困難に立ち向かう心構えが出来るようになりました。ちなみに私にはスピリチュアルな能力は全くなく、至って普通の人間であり、密やかにがっかりしたのでした。。

観音様と年越し。

今週のお題「年末年始の風景」

 

年末は鎌倉の長谷観音に家族で行くのが恒例になっていまして、今年も家族で初詣に行く事が出来ました。長谷観音では、お願いごとを書いた万灯祈願が並べられていてうちの子供たちはカップに願い事を書いて並べるのを毎年楽しみにしています。

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風に温かい光が揺らめいて、仄かに照らされた建物と円形に並べられたロウソク、本当に幻想的な風景を見る事ができます。

日が変わる10分前に、観音様の元に移動、夜に拝む観音様は本当に綺麗!お経が常にあげられているのでこれもまたおごそかで心が洗われたような気分でした。。観音様の雰囲気を伝えたいと思うんですけど、写真禁止なんです。なので、見たい方は長谷観音のホームページで見てみて下さいね。紫陽花で有名なお寺です。

家に帰宅出来たのは午前4時ごろだったのですが、この時間にしか見れない火星を見ようと息子が望遠鏡を持ちだし、東の空の火星を見ました。赤くて幻想的な星です。時期により、もっと大きく見ることもできるんだとか。

お正月に暇を持て余していたので、どこかに行きたいなーという話になったのですが、私の富士山がみたい!というワガママと河口湖に行きたいという息子のリクエストが合致し、河口湖、山中湖に行ってきました。

富士山、綺麗だったなぁー。雪は山頂にちょびっと。やっぱり少なめなのかな??

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山中湖はもっとローカルな感じで、落ち着いた雰囲気でした。オシャレなレストランとかが多くてビックリ。

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三脚持っていかなかったので写真に撮ることが出来なかったのですが、山中湖近くのパノラマ台っていう所で富士山と夜景と星がとっても綺麗に見えました。カップルがぞくぞくと来ていたのでデートスポットなんでしょうね。子供と一緒に安全に見れる天体観測スポット、もっと調べて行って開発していきたいです。

そして本日は、深大寺にお蕎麦食べに行ってきました。毎年人がたくさんで賑わっています。でも、嫌な混み方じゃないとこが好き。

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お蕎麦が美味しい事もさながら、わんちゃんも配慮してくれるお店も多いのでオススメスポットです^_^

ただ、年始の深大寺って車とめるの苦労するかもー。バスとかで行った方が楽かもしれないですね。

ゲゲゲの鬼太郎茶屋があります。可愛いグッズたくさん売ってます。

きたろうだいすき。

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今年もブログの更新頑張ります!ちょいと息抜き的な話題でした。

昼間の眠気

やりたい事が山ほど溜まっていて、仕事を休職して家にいる今こそ片っ端から片付けていこう!と意気込んでいたのですが、どうも怠くて眠い状態から抜け出せない時があります。

今は睡眠薬を飲んで寝ていますので、夜の睡眠は安定してきているおかげで、昼間に立ち上がるのが辛いほどの睡魔には襲われなくなりました。でも、夕方どうしても横になってしまうことがあって。なんか悔しい気持ちになります。昼寝しても質の良い睡眠取れるわけではないんですよね。偏頭痛になってかえって疲れちゃったりするわけで。

昼間の睡魔対策、調べてまとめてみました。

・規則的な生活をして体内時計を整える

これは基本ですよね。分かってはいます…。なかなかね。私は夜に交感神経が昂ぶってしまってなかなか寝付けないのでどうしてもダメな時は睡眠薬を使ってリズムを整えています。夜寝れるってだけでだいぶ、昼間楽に動けます。

・昼食は消化の良いものを腹八分目

昼食を摂りすぎると眠くなりますよね。血液が消化器官に集中し消化活動が活発化。反面、脳は酸欠気味になり眠気を感じるんだそう。

朝食べないので、昼にカロリー高いものをお腹いっぱい食べてしまっていました。眠気、怠さのもとだったんですね…

どうしても眠い時は、コーヒー、緑茶などのカフェインを含んだものを飲んでから20分程度寝る。カフェインが効いてくるのにタイムラグがあるので効いてきた頃に起きればスッキリ目覚められるのだそう。私は入眠が苦手なのでなかなかこの方法は聞きません。。昼寝出来ないから、日中辛さが抜けないんだよなぁ。

・交感神経を優位にする。

両手を同時にグーパーを繰り返す、深呼吸やストレッチをする。朝起きたら冷たい水を一杯飲む。コーヒーなどカフェインも優位に持っていってくれるみたいです。太陽の光を浴びる。

ここまで調べてみたのですが、要するに規則正しい生活と、バランスの良い食事、適度な運動が一番なわけです。当たり前な結論ですね。

でもここまで書いてみて思った事があるんです。

現代人はどうしてここまで慢性的な異常な疲労感と戦っているのでしょう。

思うんですが、

やりたくない事をやっているからだと思うんです。

ボロボロになるまですり減らして働くと、交感神経優位な生活環境に浸っているため自律神経が乱れます。副交感神経優位な状態が非常に少ない、リラックスしている時間が無いのです。

ひとはマゾ的な部分も持ち合わせています。どこかで自分が社会や環境にプレッシャーをかけられたり、追い詰められていたりするのを居心地が良いとする自分もいるのでしょう。居心地の良い場所を守る為、無意識のうちに、 怠くてやりたい事を出来ない環境を選んでいるのでしょう。

本当に、この状態から抜けたければ抜けれるはずなんです。自分の環境は全て自分が作り上げているのです。

私は仕事に行かなくなり、対人関係も無理せず自分のペースでと心がけるようにした所、まだ日中怠さと戦う時間もありますが前とは比べものにならないくらい楽になりました。

まだ、自分の本当にやりたい事、新しい事をしようとすると頭がモヤモヤっとなり明らかに新しい自分を怖がり邪魔をしてくるエゴの部分を感じるのですが、負けないでコツコツ頑張りたいです。

日々心のトレーニング!

環境優位の生活を繰り返すのではなく、自分優位の環境を創造すればネガティヴな疲労感から解放されるのかもしれませんね。