「なんとかしなきゃ」がなくても生きていける
ブログを始めたきっかけですが、ずっと前に通っていた催眠セラピーをうけながら書いていたメモが出てきたのもきっかけの一つです。
走り書きが沢山で、今となっては何を意味するのかよく分からない言葉もありますが、
「なんとかしなきゃ」がなくても生きていける
とかいてあるのを見つけました。
当時、荒れ狂いノイローゼ気味になり、なんとかこの状況を打破しなくてはならないと焦りばかりで不眠に陥り、近しい他人に怒りをぶつけまくっていました。
このなんとかしなくてはいけないという思考、自分で作り上げたものでして、すぐそこに出口があり扉も無く簡単に出れるものだったんです。
セラピーの先生と対話するという形を取りながら自分の思考とお話した時‥
鬱で毎日消える事を考え、息をする事さえ辛く感じてしまう自分を変えたい!!と本気で思っていました。ここはどこなのかと状況を確認すると檻の中なのです。(潜在意識?のお話です)その檻はどこからきたのでしょうか。誰かに捕まって入れられてしまったのか‥。そうではなく、自分自信で作り上げ閉じこもっていた檻でした。その檻の存在を濃く感じる時は、何か新しい事をしようとする時です。
新しい事をしようとすると怖くなり、誰かに何か言われてしまうのではないか、意味なんて無いのではないか、母に反対されてしまうのではないかという思考癖が作り上げた檻でした。その檻に閉じこもっている限りは言い訳が十分に出来るからです。私は檻の中に幽閉されているのだから何も出来ないと自分自身を騙し、すぐにひょいっと出てしまえるものなのに、出口が分からなくなってしまっていました。不思議な事に、その檻の鉄の感触が手に残っています。潜在意識の深い所でお話をしていたからなんでしょうかね。
この体験も、自分にとっての自由が何かを知るきっかけとなりました。直後はぼんやりとしていて、何の事だか分からないのです。濃い霧が立ちこめている中でいくら目を凝らしても周りは見えませんよね。でも手探りで歩く事を始め、少しずつ見渡しが良くなると自分の立っている位置がよく見えるようになります。
感情のコントロールをする事ばかりを考え思い詰められていましたが、
感情のコントロールは不可能。敵(なんとかしなきゃいけない事柄)を探し戦う事をやめる。発想を転換し、イライラが押さえられなくなり当たり散らし、自傷するなど極端な行動は比較的早く良くなっていきました。
不自由であるよりは、自由である方が良いですよね。でも、自由って、シンプルである事ってもしかしたら怖い事なのかもしれません。何もないと人間困ってしまいますよね。人って知らず知らずに不自由を選んで生きているんです。
その事にさわりでも気づけて良かった。と思った体験なのでした。