写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

プラス思考への転換

私は恐ろしくネガティブです。気持ちのコンディションが悪いとすぐにネガティブの落とし穴にいちいってしまう。

 

そのネガィブさといったら筋金入りで、小学校低学年くらいの時期にはもう、自分の存在意義が分からずなんの取り柄もないし死んでしまいたいと願っていたのでした。そしてこんな私が人生を全うするには気づきを繰り返し、「悟り」とは何か「無」とは何かを突き詰めていくしかないと思っていました。ある意味では、自分は他の同年代の子たちとは違う特別な存在だと思う事で自己防衛機能が働いていたのだと思います。

 

それでも、子供が産まれたのをきっかけに少しずつプラスに考えられる事も増えてきました。これも催眠療法を受けて自分を知る事がきっかけですが。

 

ネガティブな思考に陥り、自分を否定し存在を恥じてもなにも良い事はおこりません。それは、一歩踏み出さない自分への言い訳でしかないのかもしれません。自分は何も出来ない存在なのだと、安全地帯を作り出しているだけなのを客観的に認識できたらそこから癒しは始まるのだと思います。人は対等である、と認識する事も大切だと教わりました。自分の潜在意識を他人に投げず、自分で噛み締め味わう事です。でも、それに気づくには、セラピストさんなどの他人とのセッションが一番近道だと思います。良い人に出会えるかがとても大きい鍵を握っているかもです。

 

話が変わりますが長野の阿智村に星を見に行った時に、満点の星空、宇宙を前にして本当に人間ってちいさいなぁと、月並みですがそんな感想しか出てこなかった。全ては無なのだと心底感じた。

 

そういえば、カウンセリングでこんな言葉にもいきついたな。

 

「無」とは「愛」である。

 

愛するというのは、何もしないことなのかもしれない。ただそこにいてくれる、木だったり、日だまりだったり、花だったり、その存在は愛そのもの。

 

 

私は子供達を一歩下がった所で常に見守り、容認し、ただ抱きしめてあげられる存在になりたい。

 

まぁ、未熟な存在なものでまだまだそんな存在にはなりきれず、毎日せかせかと世間さまに流されながら「やることやって!(世間につっこまれるとめんどくさいから)急いで!」と怒鳴り散らかしながら過ごしているわけですけど‥。反省の毎日であります。