写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

仕事してないっていう日々

仕事に行かない、専業主婦の状態になって約一ヶ月が過ぎました。どんな気持ちの変化が起ってきたか途中段階の心境の記録です。

 

子供に必要な事にいち早く気づいて対応が出来る

 

お仕事と子育てを両立されているワーキングマザーのほとんどが多かれ少なかれ悩む事は子供との時間が少なくなってしまう事。がっつり仕事をしているとどうしても子供との時間の密度が減ります。

 

子供の話をゆっくり受け止めて聞くという時間がなかなかとれなくなる為に、実は学校でトラブルがあったとか、なんでもないけど聞いて欲しい事があったりしても、こなさなければならない仕事、家事や寝る支度などに追われ親子共にスルーしてしまう事があります。

 

仕事をしていなければたっぷり時間を注いであげられるので、ちょっとした心境、トラブルなどもいち早く気づいてあげる事が出来るようになりました。

 

 

仕事も子育ても自分もうまくいく! 「働くママ」の時間術

仕事も子育ても自分もうまくいく! 「働くママ」の時間術

 

 

 

‥なんてここまで書いてみて、、

 

 

最近なんだか心の方の調子が思わしくなくて、飾りつけた書き方が出来ない自分に気づきました。なので、正直な気持ちをつらつらと書いていこうかと思います。気分ムラ、気持ちムラ、嫌になるんだけど、書くという行為がプラスなのは分かるんだ。だから書く。うん。

 

仕事をやめて静寂が訪れた。朝起きて、接客向けの人格を呼び起こす儀式の必要もなくなった。起きると、何も予定がないという日々。仕事をしていた時は一ヶ月の中で5日あるかないかだった予定の無い日が毎日に近くなった。子供と向き合える日々が増え、気持ちが充実していくのを感じた。でもこれは、今まで向き合えなかった時間があるからこそ感じられるありがたいものなのだと思う。だから、ワーキーングマザーを良く思わない昔ながらの考えの人に、あなたの子供、見てないとこで迷惑かけてるよ、お母さんが仕事してるからじゃない?なんて言葉を浴びせられたりもしたのだけれど、私は仕事と子育て、両立が出来るのだったらこれが一番良いのだと思う。家庭の経済的にも、母親の心の充実の為にも。

 

何にかんしても、一つの世界の中からしか物事を判断出来なくなるというのは怖い。狭い世界に閉じこもり、一方通行からしか物事を考えられなくなってしまうと子供を圧迫してしまう恐れがある。

子育て環境は視野の狭い世界、社会とはまた違う独特なルール、偏見に気づかないうちに毒されてしまうような危険のある環境に陥ってしまう事もあるのだ。(PTAとかPTAとか‥)

 

いずれ、子供も社会に出ていくのだから、一番密着している母親も今現在の社会を知っておいた方が良いと思う。

 

もう少ししたら、私もまたお仕事探すつもりです。子育てと両立出来るとこ。。何故子育てと両立したいかっていうと、子供の成長ってやっぱり宝で、日に日にめきめき変わっていくので、それを目に焼き付けたいっていうのがあるから。

 

何も無い日々、スケジュールに圧迫されない日々に自由と心の充実を感じながらも、コミュニケーションを通じて化学反応をおこし学びを得るというのをこなせていない自分に焦りもあります。自分の考えに閉じこもりがちになってくる自分を感じる。

 

別に1人で家に閉じこもっていてもあまり不自由を感じないけれど、昨日数人のお友達とお茶を飲みながら話して、笑って、伝えて、受け止めて、やっぱり得るものはあるんだなって思った。引きこもりもよいけど、1人じゃ人生に化学反応は起こせないのだと思う。

 

幼稚園や、学校に子供が入ると感じるのが、周りのママさん達の仕事のスキルやスペックの高さに本当に驚きます。もちろん、仕事ではなく非営利なのでボランティアに近いような状態で、さまざまな書類、議事録やらなにやらを仕上げていきます。幼稚園の卒業対策委員会なんて経験した時には、会社にも負けず劣らずな組織形成に驚きを隠せませんでした。もちろん賃金なんか発生しません。全ては子供の為という名目の元で、夕ご飯を作る暇もなく、追い込みの時には睡眠を削りながら書類を作り、イベント進行すべてをこなすんです。すべての幼稚園などがそうではありませんが‥。

 

こういった、働くスキルの高い人たちが、うまく子育てと両立して仕事が出来る社会になればいいなって本当に感じます。

 

あと、仕事辞めて気づいたというか、とっくに分かっていた事ですが

 

部屋の片付けは仕事理由ではないですね‥

 

相変わらずきたないまんま

 

ここは、仕事という理由ではなく、自分の心に確実にあるようです。。

 

 

モノは最低限、幸せは最大限

モノは最低限、幸せは最大限

 

 時間の使い方なんだよなぁ

 

なぜ心が傷つくの

仮に、世の中で定義されるような、幸せな出来事しか起らない人がいたとして果たしてそれは幸せと感じる事が出来るだろうか。

 

悪いことがあるから、いいことが起るととても嬉しくなり幸せを感じる‥。実は「幸せ」 は「下がった所(苦難が訪れた所)」と「上がった所(快楽や幸福感を感じる所)」の高さの違いによって生まれていたのです。

 こころのふしぎ なぜどうして?より

 

 

続・こころのふしぎ なぜ?どうして? (楽しく学べるシリーズ)

続・こころのふしぎ なぜ?どうして? (楽しく学べるシリーズ)

 

 

私はとっくに、他者によって傷つく必要は無いのだと分かっているのに、自分の言葉を伝える能力のなさのおかげで誤解が生じてしまい傷つく事があります。

 

人に自分の気持ちを正しく伝える事って難しいですね。伝えるスキルもそうですが、受け止めるスキルも必要で、自分の口から放たれた言葉はもう自分だけのものではなくなるんです。他人と共有し、受け止めた側にとってはどうとうかは自由なのです。

 

なるべく誤解が生じないように、言葉を選びすぎてしまうせいか、冷たい、業務的だと捉えられてしまったり、そこに根底にある気持ちの感情的な部分をこめようとすると、悪口になってしまうのではと怖くなってしまったりもします。私の場合、ぎりぎりまで根底の気持ちを押し込めたまま他人と会話をするのが鬱になってしまう原因になるようです。

 

自分を分かってもらいたいと思う事って、自己承認欲求ですよね。自己承認欲求は不自由をもたらします。心理学者アドラーは全ての悩みは対人関係の悩みであると言います。

 

私たちは、他人の期待を満たすために生きてはいけません。他人の期待を満たすという事は他人の人生を生きるという事になるのです。

 

ここまで書いてきて、なんとなく自分の今の心理状態を読み解く事が出来てきました。

 

私は今、他者の欲求を満たそうとする選択をしかけているので、気持ちは落ち込み鬱に片足踏み込んでいるのだと思う。

 

今の仕事を辞めた方がいいっていう明らかな選択肢があるのを分かっていながら、職場の人たちに嫌われないようしがらみの無い言葉を日々探しているのである。一応こんな私でも、引き止められている為に承認欲求が多いに働いているのである。(現在休職という状態にある)

 

私は他者の課題を捨てきれずにいる。それに気づかず自分が職場を辞めるという選択に対し、傲慢な事をしているのではと思っている。

 

対人関係の何が私たちの自由を奪っているのでしょう。

 

馬を水辺に連れていく事はできるが、水を飲ませる事はできない。

 

自分を変える事ができるのは、自分しかいない。

 

ここまで分かっているのにね、頭では理解できるのに、人生の課題が起きた時にまだあたふたして傷ついて沼に落ちちゃうんだよね。

 

でも、苦難があるって事は、幸せを感じる能力もあるってこと。

 

自分を変えられるのは自分しかいない。

 

幸せを選択するのも、不幸に自分を陥れて這い上がらないのも自分次第。