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すてる神、拾う神--LD、ADHDの収脳日記

ブログ初心者、システムオンチ。大人の注意欠陥症候群と戦ってます。

孤独と自己犠牲の人生

鬱期が未だにしばらく続くときがあるんだけれど

その時期にだんなに、

 

「私は死ぬときは孤独死を選ぼうと思う。

誰にも知られずに朽ち果てて死んだって事も周りに周知されず死ぬ」

 

と告げたら、

 

「俺も」

 

との答え。

 

違うって。

あのね、そんな事言うなよ。大丈夫、俺がいるじゃん。ふたりで余生を

穏やかに過ごそうって言って欲しかったんだって。

 

そんな気持ちは一番近しい人にも通じず、絶え間ない孤独をさらに感じる

結果となった。

 

死にたいとか、消えたいとか、私は鬱だから常に頭の中でブツブツ呟いて

いるインナーチャイルドがいるんだけれども、(どうしても止められない)

これって自分の事しか考えてませんよっていう自己愛の塊の現れなんです。

 

この後に及んで、自分が大事、傷つけられたくない。自分は悪くない。

それをインナーチャイルドが全力で主張している証拠。

 

自己愛が激しく、エゴが大いに活躍している状態。

 

私を受け入れてくれるのだったら、大いに自己犠牲を払います。

だから、私を受け入れて愛してください。

 

こんなの、書いてるだけで自分でもバカバカしいとあいそをつかして

しまうんだけど、こんなインナーチャイルドが根強くいるっていうのも

事実なんです。それをまたちゃんと、受け止めてあげなきゃいけない。

 

自分に素直に、好きなものに素直に、よりシンプルに。

が一番なのは分かっているんだけれど、なかなか私のような

障害があるにんげんはうまく流儀、ルール読み取れません。

 

これから先もこんな事の連続なんでしょう。

 

そのたびに、涙を流し壁にぶち当たりながら紆余曲折生きていくしか

ありません。

 

こんな、分かっているのにうまくいかず、気持ちも外に出せず悶々として

いる人はたくさんいるのだと思います。

 

いつか、そんな気持ちを受け止めて風穴を開けてあげられるような

スペースを作りたい、そんなふうにも思うところがあります。

 

さて、今日はそこそこ晴れて気持ち良い感じなので、これまでの事を

振り切ってウォーキングしてこようと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

がんばってがんばって

自分が頑張れば良いと思い込んでいる。

 

いまだにそう。

やりたい事がある。夢がある。

それにはお金が必要で、機材も必要で。人脈も顧客の獲得も

自分という人間を分かってもらう必要もあって

 

だから、頑張ろうって思った。

 

はたらいて、つらくても、体が悲鳴をあげても神経のピリピリが

マックスでも、頂けるお仕事はなんでもありがたく頂戴して

全力で引き受けて。接客だから、いつも笑顔でにこにこ、クレームも

心からうけとめて、その場面にいる時はおきゃくさまの気持ち要望を

1パーセントでも多く理解しようと頑張った。

 

私はADHD、LD傾向があるから、普通の人よりも何倍も大変な事が

多くて、例えばついさっき言われた事が覚えられなかったり理解でき

なかったりする。だから、精神のすり減りようも半端ない。

 

でも、生きていかなきゃいけないし、親なんだから子供に不自由もさせたく

ない。だから、

 

がんばって、がんばって・・・

 

でも、そのせいで見落としてはいけないものを見落とした気がする。

前ばかり向いていたけれども、本当に私を理解しようとしてくれていた

人たちを思いやっていただろうか。

やりたい夢ばかり追いかけて、損得でコミュニケーションをとるという

傲慢な態度をとっていなかっただろうか。

 

好きなものに正直になろう、やりたくない仕事とサヨナラしようって

ネットでもそんな風潮がはやっていると思うんだけれど、

そこには流儀、ルールがあるんだって事に今更気づいた。

 

遅い。

 

でも、明日事故で死なない限りは幸か不幸か人生は続いていくので

これから先も、間違った選択をいくつもして涙をながしながら

進んでいくんだと思う。

 

済んでしまった事は振り切ろう。

 

 

delete-all.hatenablog.com

 ふみこさま、大好きでございます。

捨てる神あれば、拾う神あり

 世の中には様々な人がいて、自分のことを見限って相手にしてくれない人もいれば、その一方で救いの手を差し伸べてくれる人もいる。
日本には八百万の神がいるのだから、不運なことや非難されるようなことがあっても、くよくよしなくてもよいという教え。
「捨てる」は「棄てる」とも書く。
「捨てる神あれば助ける神あり」「捨てる神あれば引き上げる神あり」ともいう。

 ここ最近、あまり良くない事が続いた。

私はADHD、注意欠陥症候群おまけにLDの傾向があるんだけれども

つい子供の小学校のPTAを引き受けたばっかりに保護者会でパニックを

起こし、わけの分からない事を沢山口走ってしまい総勢30人近くに

ポカンとされてここでは書ききれないくらいのイタイ人をお披露目する

はめとなった。

 

仕事面でも、イタイ人状態が続きアリ地獄にはまったようにジタバタ上に

のぼれずもがけばもがくほど下に引きずりこまれているような感覚が

続いている。さすがに精神的にきつく、毎日デパス抗不安薬)を服用し

就寝する状態が続いている。こういった障害ぽい人は分かると思うんだけど

いつどんな時も自分の思考が止まらなくなる。寝ていても、ずっと自分の

頭の中の思考がおしゃべりを続けているのである。

 

今回は神様に豪快に捨てられた。試練を与えられたのかな・・。

でも、自分のした決断に後悔はしていない。でも、その決断でいいよ!

と背中を押してくれた人が今になって、あんな決断をしたから自業自得

じゃないと態度を翻された事は多少あたまにくる。さすがにね。

でも、結局は自分なんだ。

 

自分の環境、周りの人々は自分の反映。

こんな文章を読んだ。自分の中では節目に繰り返し、繰り返し出会う言葉であって

得に目新しいものでは無かったんだけれども、すっかり忘れていたもので

はっとした。まさにその通り。私は損得感情で動いていた部分も多くあった。

仕事面であの人と仲良くしとこ~とか、下手に出たりとかしていた所が

あったと思う。

 

友達が少ない事は気にしていないけれども、自分を信用していないから

他人を信用出来ない。きっとそれがドカンとかえってきたんだ。

 

どれだけ本を読んでも、自分の位置や正しい立場、立ち振る舞いを

見極めようとしても自分じゃ難しい事がたくさんある。

30すぎでもこんなんだから途方にくれるな・・。

でも、昔より、ずっと生き易くはなってきてる。

捨てられたあとには、ほんの少しでも良い事がおこるっていう

法則があるのを知っているから。今日、素敵な神様に手を差し伸べて

もらって近い未来に夢を託してきた。

 

自分のいる場所が分からなくなって、こんがらがって抜け出せなく

なっている人ってたくさんいるんだろう。

現実世界では言い出せないだけで。

 

人間は単純ないきものじゃない。

 

でも、死ぬまでにはシンプルに、素直に、何かを見極めたい。

まずは文章うまくなりたいな。がんばってかく。

なるべく継続する。

 

稚拙な文章ですが、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

私にドッペルゲンガーが現れた日

つい半月程前、私にドッペルゲンガーが現れたんですよ。

 

ウィキペディアによるとドッペルゲンガーとは

 

「写し、コピー」という意味。

以上の意味から、自分の姿を第三者が違うところで見る、または、自分が異なった自分自身を見る現象、「生きている人間の霊的な生き写し」などを指すために用いられている。

ドッペルゲンガーの特徴として、

  • ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。
  • 本人に関係のある場所に出現する。

 

これがドッペルゲンガーの定義であるなら、まさにその通りなのです。

 

ながらく休職させていただいておりました職場から、来月のシフトを作りたいのだけれど進退はどうするのかという連絡があり、改めて退職を希望する事を伝えました。後日退職届を出しに職場に行った際、「年末にお菓子を持って話し合いに来てくれたそうなのに、休みで話し合いが出来なくて‥」と店長から言われてびっくりしました。

 

年末に行った記憶なんて一切無かったし、その間余計な事は言わない方がよいと思ってあまり職場の人とは会話をしたり連絡をしていなかったのです。

 

前々から、他人づてに聞いた話をこじらせ癖がある人だなぁと思ってはいたけれど、まさか職場にお菓子を持って話し合いに行っていた所まで発展するとは思ってもいなかったので、とても興味深かった。私の辞める事に対しての迷いがドッペルゲンガーになり、もしかしたら本当に職場にお菓子を持っていったのかもしれない。

と思うと昭和の時代に流行ったテレビ番組を思い出して少し笑いました。

 

噂を流されるといった経験は多くの人がある事だと思うのだけれど、我が家には以前、こんな噂を流された事があって、

 

流行の伝染病にかかったというもので(蚊の媒体するアレ)、なんと全然違う学校のお母さんから、かかったんでしょ?とわざわざ確認された事がある。

 

流石にこれはいきすぎではないかと怒りがふつふつと湧いてくるのを感じました。かかってもいない伝染病になった事にされてしまうなんて…。元ネタを探ると、フェイスブックに「代々木公園近くに毎週用事があり通わなければならない。蚊の対策に気をつけよう。」と書き込んだ事が原因だった事が判明しました。

 

SNSの言葉の軽さを改めて感じた出来事でした。

 

伝える側がどんなに真実を伝えようと言葉を紡いでも、受け取る側の理解に誤解が生じてしまったらそこを埋めるのはなんとも大変な作業で。噂、口コミは猛烈な勢いで広がっていく。

 

 

lilasflower.hatenablog.com

 

他人に対してはっきりと自分の意思を表示する事ができない臆病な人は、恐怖心と不安感から他人を噂の主人公として作り上げ、落とし込む(生け贄を作る)事で、自分が噂されない安全な世界を作ろうとする

 

人って、無意識にまだこの世界に生け贄を捧げているんですね‥。

 

悪の根源が見つかると人って安心するものです。

 

例えそれが、スケープゴーストであっても‥

 

 

 

雑用ってめんどくさい?

やりたい事意外の事を雑用としたら、いかに自分の人生の時間が雑用で占めているかがわかる。出来るなら自分のやりたい事、必要な事柄だけをこなしながら毎日を過ごせればいいのに、と思ったりする。

 

仕事での雑用はめんどくさく、あまりやりたがる人はいない。でも、接客オペレーターの為のパソコンまわりのサンプル商品を自分の手で整理整頓するとどの配置が効率的に商品が目に入りやすいかを発見できたり、朝の掃除の時間に掃除機をかけてまわったりしているとお客様の導線を考える事が出来たり確実に自分の引き出しに知識がつまっていく事に繋がる。

 

雑用を丁寧にこなせる人というのは、細部までちゃんと作り込みが出来る人であるということ。

 

気持ちがネガティブに働いてしまうような雑用はさけるべき、スルーすべきことだけれど、自分の心の引き出しにしまえるような雑用は細部まで丁寧にこなそう。

 

質の良い雑用を大切にすると人生の多様性に繋がる。

 

雑用は心をゆたかにする未来への種まき。

求められるゲス人。ゲスが愛される理由。

ゲスとは、心根の卑しいこと。下劣なこと。また、そのようなさまやその人。身分の低い者。

 

というのが本来の由来であるらしい。

 

でも、最近テレビで見た現代のゲスの認識はかなり違うものだった。

 

 

ゲスな女が、愛される。-あっという間に思い通りの恋愛ができる!
 

 

「ゲスな女が、愛される」私は本屋さんでちらっと表紙を見た時身分の低い人が愛されるほん?とちょっと不思議に思った。本のイラストからもイケイケな感じがしてあまり気にもならなかった。

 

後日、作者の心屋仁之助さんがフジテレビのノンストップに出ていて軽くこの本でいう「ゲス」を説明していたのだけれど、私の認識しているゲスの意味とはかなり違うものらしかった。

 

心屋さんのいう「ゲスな女」とは、

 

シンデレラのように自分に素直で、貧しくボロボロの身なりでいながらも王国のパーティに出席しようとしたり、王子様からの求婚も身分の違いもわきまえず何の躊躇を持たずに自分の欲求や願望に素直に行動出来る女性の事をさしているらしい。

 

確かに、物語からあまり詳しくシンデレラの心情を考えた事はなかったけど、天と地のさもある王子様から求婚されて二つ返事で「はい!結婚します!」と答えて幸せを選べる人って実はあまりいないかもしれない。一般人がロイヤルファミリーに嫁いだらどれだけの苦労や困難が待ち構えているか頭をよぎるのが普通だろう。

 

  • 何故いま、「ゲス」な人間が求められているのだろうか。

 

ゲスな人間とは、自分の欲求に素直に行動できる人の事である。

今までの日本の風潮としては、自分の意見はまず押し通さず他人と協調性を持てる人格が重宝されてきた。内容の同じ仕事を多人数でこなした方が生産率が良かったからだ。でも、今は様々なシステムが構築され機械が仕事を担うようになってきた。そしてネットが発達し、そこでコミュニケーションがとれる世の中にもなった。

 

単純作業は機械やシステムがこなせるようになってきたので、より、一人一人の個性が重視される世の中になってきたのだと思う。単純な事はますます機械に任され、人工知能も発達していくだろう。未来の私たちに必要なもの、機械に勝る術は、個性と考える力なのだと思う。

 

  • 個性は自分の芯(真)の部分から反映される

個性とは、環境から構築されていくものではなく、自分の真ん中の部分、芯(真)の部分からはっせられるものだと思う。いくら上辺の知識で個性を気取っても自分を偽るという無理な行為からほころびが生じ、他人からも、自分自身にも違和感が生まれてくる。ではどうやって芯のある個性を他人に感じてもらえば良いのか。

 

それは、まさに「ゲス」になることなのだと思う。

 

心に余計な装備を纏わず、いつもそのままの心でコミュニケーションをする。いつもどこか本音の部分で話が出来る人であるという事。

 

駄目な自分を許せないでいると、自分そのものを受け入れられなくなります。弱いありのままの自分を見せたくないと見栄をはったり虚勢をはると、周りに攻撃的になったり逆に消極的になったりする。駄目な自分、そのままの自分を受け入れる、

 

愛されようとするのをあきらめる

 

あきらめる事で余計な力がぬけて、そのままの自分を受け入れてくれる人が周りを囲み、良い環境を手に入れる事ができるののだと思う。

 

これからの未来は、今までのようにレールが無い時代。

 

経済や、人間の円満な未来を望むのであれば私たちはゲスでいなければならないのかもしれない。人の為にではなく、自分の為に働く社会。

 

ありのままに。

 

個性を武器に、未来を切り開く必要があるのだ。

 

 

 

言葉はその人のもとを離れると別物になる

私はまだ、ブログ界のことなんて全然わからなくて、難しいこととかすぐ「?」ってなってしまうし、技術のこととかもう「???」ってなる。

 

何も分かってない人が分かる事もある。

 

私は注意欠陥というものと共存しているので、そのせいもあるのか分かりすぎる事、単純なのに全然理解出来ない事などもある。

 

でも、ブログをここ最近いろいろよんでみて、伝えるってすごいなって思うんです。リアルな世界では、自分の心のうちを語り合う機会なんて一般にはそうそうないじゃないですか。でもブログではみんな、自分の胸の内に秘めている言葉をびっくりするくらい上手に心に響かせてくれるんです。子育てブランクでじっくり活字と接する時間が無かった私は改めて言葉、文字の力を感じました。

 

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言葉を話すのは人だけで、私たちはそれを当たり前のように使っている。私の綴る言葉は稚拙だけれど‥いつか、誰かの心にひっかかる言葉を当たり前のように書けるようになりたい。

 

SMAPやらベッキーやら、いろいろメディアが騒いでいたけれどもメディアが発する言葉は断定的なものが多くて表面的な表現ばかり繰り返し脳みそに刷り込みをしてくる。発する側も責任があるのは当たり前なのだけれど、受信するこちら側にも責任があるのを忘れてはいけない。

 

伝え手から放たれた言葉は、完全に独立し私たちの物になるのだ。作られた料理は同じものでも、食べた人それぞれで味が違う。感性が違うからだ。味をどう感じるかはその人次第という事になる。

 

言葉だって同じ。受信した時には完全にそのひと個人のものになる。味わうか、ただ流し込むだけなのか。

 

言葉を放ち手放すと、受信した人の物になる。

 

という事は、褒めたり批判したり、感想や批評を述べる時にはこちらの責任があるのだと言うのを忘れてはならないと思う。

 

伝え手と受け手。このテーマ、もっと文章がうまくなったらまた改めて書きたい。