写真と趣味の日々をつづる。

なんでもない日々の趣味ブログです

不幸は特別。

私は自分の事を不幸だと思う。

 

でも、その不幸だと思っている自分は「特別」な存在であろうとする為として使っている飾りであり、その飾りを自分でとっぱらわないと永遠に不幸を必要とする事になる。

 

一点において、人の上に立とうとする姑息な手段なのである。

自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。

 

何年も前に、カウンセラーさんから与えてもらった大事な言葉なのに、

すっかり忘れてすっかり不幸の住人になっていました。

 

非を認めることは負けじゃない。

問題は何があったかではなくどう解決したか

昔のメモがふと出てきたのでそれをまた、メモ。

 

過去の原因ではなく、いまの「目的」を考える

 

不安だから外に出れないのではなく、外に出たくないから「不安」という感情を作り出している

 

原因論の住人である限り一歩も前に進めない

 

過去にある何か(トラウマ)によって自分のエゴは都合の悪いところを見えなくし、分からなくさせる。

 

人は怒りをねつ造する

 

怒りとは出し入れ可能な道具として認識する

 

知る事は変わる事の第一歩

 

他者から与えられた答えは対処療法

 

何が与えられているかに注目するのではなく、与えられたものをどう使うかに注目する

 

自分の不幸は自身が選んだもの(疾病利得)

 

怒りを感じるのは心のことせんに触れているから

 

人生は他者との競争ではない

絶え間ない虚無感の中に

最近、ずーっと絶え間ない虚無感の中で戦ってきています。

 

それが、もしかしたらネガティブな戦いなのかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、よくわかりませんが。

 

頭の考査の中にある、芯の部分に触れようとすると、掴みかけるとすっと煙に巻かれしまったりしてなかなか手中に収める事が出来ない。

 

ただ、こんな虚無感溢れる日々の中でも、事は進んでいくらしく、環境はゆるっと、でもけたたましく変化していきます。もはや、私はどこにいたんでしょうってかんじです。

 

何でひとは、形跡を残すのか。

自分のいたっていう形跡を残さないでいなくなるっていう事が何故、ポジティブな事ではないのか。

 

どうして、苦しくなるのか。

ヒトの、心の苦しさの意味とは。

 

半ば、パニック気味で、頭の中で言葉がぶつ切りになっていてうまく繋げられないんですけど分かっている事は、

 

承認欲求は良い結果を産まない

原点にかえる、という事は大切なこと。よって自然に帰るというのは人にとって当たり前の魂の里帰りであるということ

無とは愛である

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私は常に自分の物質としての意味も、心の存在も、どうしてそこに在るのか分からずここまで来たのだけれど

私の中に深い愛情はあるのは間違いない事なので、

それだけは与えて下さったすべてに深く感謝しています。

 

ここ数日、一つの事柄を極めた方たちから宝石のようなキラキラした言葉を頂いているので忘れないよう、ここに記していきたいと思っています

 

 

エネルギーの鎮座する余白、響きによる空間の支配

私はピアノが好きです。

でも、中学2年生くらいの時の音楽の先生にプライドをぼこぼこにされ聞くのも嫌だと思うくらい嫌いになった事があります。これに関しては10代の思春期に起きた中二病ならではの事件なのでそんな大したトラウマではありませんが、再び、ピアノを好きになったきっかけは息子が習い始めた事からです。

 

息子の先生は作曲者の意図を組んだり、響きの在り方や余白、空間の把握の仕方など弾いて練習するだけではないクラシックの醍醐味も教えてくれます。それを知って弾くのと弾かないのでは演者にもえらい違いが生まれます。その曲や、ピアノに歴史があること、それを知るだけではなくて読み解き方を指導して下さること、これは音楽をやるにはとても大切な事なんだなぁと感じました。

 

何に対しても、この感覚があてはまるなって思う事が最近特に多いです。

感性や自由な感覚、ありのままも素晴らしい事ですが、先人の研ぎ澄まされた感覚や読解されてきたものを柔軟に吸収するっていうのが贅沢な事なんだって感じました。

 

エネルギーの鎮座する余白、響きによる空間の支配。

ワーキングメモリの少ない親子のその後

下の息子もウィスクをうけてワーキングメモリがうまく働かないタイプですねーって判明してから約一年が経ちました。

 

1、2年生の時の先生は息子の扱い方によっぽど困ったのでしょう・・。私も、もう学校で共同生活が出来ないのかと、どこか少人数制の島の学校を探そうかなど本当に悩みましたが、3年生で担任が変わりどのような環境になりなじめるのか少し見守ってから次の手を考える事にしました。

 

すると、男性の先生になり、とてもルールに厳しく、宿題もガンガン出す先生にあたり息子はいきいきし始め、学校もとても楽しそうに通い始めました。自由な発想すぎる息子、勉強する事に対して好奇心が在りすぎたのでしょう。それを大人がある程度許容してくれながらいい具合に抑えてくれた事で本人もとても楽になったようです。

 

学校や先生と相性が合わなくて悩まれている方って多いと思います。

でも、本当に「相性」だなと感じた今回のいっけんでした。

孤独と自己犠牲の人生

鬱期が未だにしばらく続くときがあるんだけれど

その時期にだんなに、

 

「私は死ぬときは孤独死を選ぼうと思う。

誰にも知られずに朽ち果てて死んだって事も周りに周知されず死ぬ」

 

と告げたら、

 

「俺も」

 

との答え。

 

違うって。

あのね、そんな事言うなよ。大丈夫、俺がいるじゃん。ふたりで余生を

穏やかに過ごそうって言って欲しかったんだって。

 

そんな気持ちは一番近しい人にも通じず、絶え間ない孤独をさらに感じる

結果となった。

 

死にたいとか、消えたいとか、私は鬱だから常に頭の中でブツブツ呟いて

いるインナーチャイルドがいるんだけれども、(どうしても止められない)

これって自分の事しか考えてませんよっていう自己愛の塊の現れなんです。

 

この後に及んで、自分が大事、傷つけられたくない。自分は悪くない。

それをインナーチャイルドが全力で主張している証拠。

 

自己愛が激しく、エゴが大いに活躍している状態。

 

私を受け入れてくれるのだったら、大いに自己犠牲を払います。

だから、私を受け入れて愛してください。

 

こんなの、書いてるだけで自分でもバカバカしいとあいそをつかして

しまうんだけど、こんなインナーチャイルドが根強くいるっていうのも

事実なんです。それをまたちゃんと、受け止めてあげなきゃいけない。

 

自分に素直に、好きなものに素直に、よりシンプルに。

が一番なのは分かっているんだけれど、なかなか私のような

障害があるにんげんはうまく流儀、ルール読み取れません。

 

これから先もこんな事の連続なんでしょう。

 

そのたびに、涙を流し壁にぶち当たりながら紆余曲折生きていくしか

ありません。

 

こんな、分かっているのにうまくいかず、気持ちも外に出せず悶々として

いる人はたくさんいるのだと思います。

 

いつか、そんな気持ちを受け止めて風穴を開けてあげられるような

スペースを作りたい、そんなふうにも思うところがあります。

 

さて、今日はそこそこ晴れて気持ち良い感じなので、これまでの事を

振り切ってウォーキングしてこようと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

がんばってがんばって

自分が頑張れば良いと思い込んでいる。

 

いまだにそう。

やりたい事がある。夢がある。

それにはお金が必要で、機材も必要で。人脈も顧客の獲得も

自分という人間を分かってもらう必要もあって

 

だから、頑張ろうって思った。

 

はたらいて、つらくても、体が悲鳴をあげても神経のピリピリが

マックスでも、頂けるお仕事はなんでもありがたく頂戴して

全力で引き受けて。接客だから、いつも笑顔でにこにこ、クレームも

心からうけとめて、その場面にいる時はおきゃくさまの気持ち要望を

1パーセントでも多く理解しようと頑張った。

 

私はADHD、LD傾向があるから、普通の人よりも何倍も大変な事が

多くて、例えばついさっき言われた事が覚えられなかったり理解でき

なかったりする。だから、精神のすり減りようも半端ない。

 

でも、生きていかなきゃいけないし、親なんだから子供に不自由もさせたく

ない。だから、

 

がんばって、がんばって・・・

 

でも、そのせいで見落としてはいけないものを見落とした気がする。

前ばかり向いていたけれども、本当に私を理解しようとしてくれていた

人たちを思いやっていただろうか。

やりたい夢ばかり追いかけて、損得でコミュニケーションをとるという

傲慢な態度をとっていなかっただろうか。

 

好きなものに正直になろう、やりたくない仕事とサヨナラしようって

ネットでもそんな風潮がはやっていると思うんだけれど、

そこには流儀、ルールがあるんだって事に今更気づいた。

 

遅い。

 

でも、明日事故で死なない限りは幸か不幸か人生は続いていくので

これから先も、間違った選択をいくつもして涙をながしながら

進んでいくんだと思う。

 

済んでしまった事は振り切ろう。

 

 

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 ふみこさま、大好きでございます。