そうやって大人になっていくんだね
ここ最近、長女が小学校で人間社会の縮図の洗礼をうけているらしい。
すごく仲良くしてくれていたお友達が、突然の無視で話しかけても何も答えなかったりするようになってしまったそうで。。
タイミングも冬休みあけだったので原因も分からない。何があったわけでもないのだが、向こうの心境に何か変化があったのだろう。
娘は私たち親には殆ど何も言わず、自分でモヤモヤする気持ちを消化しようとバレエにあけくれてみたり、クックパッドを見ながら自分でレシピ集を作り、ママに食べさせてあげるからね!と元気にふるまっているが、オーラがシュンとしてしまっているのは明らかで、何もしてあげられない自分がとてもふがいない。
でも、そういった人間関係の消化を自分で学んでいかなきゃいけないんだよね‥どうしてもこじれた方向に行ってしまったら大人が出るべきだとは思うんだけれど、これからの世の中、「スルースキル」というのがもっと大事になってくるのだと思う。これだけの情報量にあふれ、ネットやテレビで本人の意向、意思とは関係なくキャラクターが一人歩きする世界にいちいちひっかかり、どっぷり浸かってしまったら現実を生きれなくなってしまうからだ。
今日ね、一緒に帰ろうって言われたんだけど、いざ帰宅の時間にお待たせ!一緒に帰ろうって声かけたら無視されたんだよ。わけがわからなかったんだけど‥。心臓がどきどきして、心が苦しくなったよ。
私はどう、声かけてあげるのが正解なのかな‥
やっかいな事って、むこうから付きまとってくるものなんだよね。女性特有なのかもしれないけれども。無視するんだったら、無視を決め込んでくれれば良いのにね。
私が一緒に無視を決め込む彼女の悪口を言う事は簡単なことだ。でもそれはなんか違う気がする。
辛いことがあったらね、それをずっと辛いこととして引きずるんじゃなくて、何か変わることのきっかけとして受け止めて前を向くしかないんだよ。悲観して生きていくのと、辛いんだけど前をむくのと、180度人生の見方が変わるんだよ。この本に書いてあったんだけどね。そういって娘にその内容を写したメモをわたすと、大事そうに受け取りじっくりと見つめていた。
辛い事をバネに、前を向いて人生の見方を変える。こんな文字にして書くとチープな事が私は何十年間も出来なかった。でも、変える事のトレーニングが出来るって気づいてからネガティブに負けず、思い癖を変える訓練をすると何年か立つとちっぽけな件では傷つかない自分がいつのまにかそこにいる。単純な事だけど、この心のトレーニングが出来ている人は人間社会を生きる上でとても強く、思い通りに生きていけるのだろう。
今回の出来事でふと思い出した言葉があった。
悪口の中においては、常に言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある
一つの出来事を、色んな方向から自然と見えるようになるっていうのが理想だね。娘よ。