言葉はその人のもとを離れると別物になる
私はまだ、ブログ界のことなんて全然わからなくて、難しいこととかすぐ「?」ってなってしまうし、技術のこととかもう「???」ってなる。
何も分かってない人が分かる事もある。
私は注意欠陥というものと共存しているので、そのせいもあるのか分かりすぎる事、単純なのに全然理解出来ない事などもある。
でも、ブログをここ最近いろいろよんでみて、伝えるってすごいなって思うんです。リアルな世界では、自分の心のうちを語り合う機会なんて一般にはそうそうないじゃないですか。でもブログではみんな、自分の胸の内に秘めている言葉をびっくりするくらい上手に心に響かせてくれるんです。子育てブランクでじっくり活字と接する時間が無かった私は改めて言葉、文字の力を感じました。
言葉を話すのは人だけで、私たちはそれを当たり前のように使っている。私の綴る言葉は稚拙だけれど‥いつか、誰かの心にひっかかる言葉を当たり前のように書けるようになりたい。
SMAPやらベッキーやら、いろいろメディアが騒いでいたけれどもメディアが発する言葉は断定的なものが多くて表面的な表現ばかり繰り返し脳みそに刷り込みをしてくる。発する側も責任があるのは当たり前なのだけれど、受信するこちら側にも責任があるのを忘れてはいけない。
伝え手から放たれた言葉は、完全に独立し私たちの物になるのだ。作られた料理は同じものでも、食べた人それぞれで味が違う。感性が違うからだ。味をどう感じるかはその人次第という事になる。
言葉だって同じ。受信した時には完全にそのひと個人のものになる。味わうか、ただ流し込むだけなのか。
言葉を放ち手放すと、受信した人の物になる。
という事は、褒めたり批判したり、感想や批評を述べる時にはこちらの責任があるのだと言うのを忘れてはならないと思う。
伝え手と受け手。このテーマ、もっと文章がうまくなったらまた改めて書きたい。