仕事してないっていう日々
仕事に行かない、専業主婦の状態になって約一ヶ月が過ぎました。どんな気持ちの変化が起ってきたか途中段階の心境の記録です。
子供に必要な事にいち早く気づいて対応が出来る
お仕事と子育てを両立されているワーキングマザーのほとんどが多かれ少なかれ悩む事は子供との時間が少なくなってしまう事。がっつり仕事をしているとどうしても子供との時間の密度が減ります。
子供の話をゆっくり受け止めて聞くという時間がなかなかとれなくなる為に、実は学校でトラブルがあったとか、なんでもないけど聞いて欲しい事があったりしても、こなさなければならない仕事、家事や寝る支度などに追われ親子共にスルーしてしまう事があります。
仕事をしていなければたっぷり時間を注いであげられるので、ちょっとした心境、トラブルなどもいち早く気づいてあげる事が出来るようになりました。
‥なんてここまで書いてみて、、
最近なんだか心の方の調子が思わしくなくて、飾りつけた書き方が出来ない自分に気づきました。なので、正直な気持ちをつらつらと書いていこうかと思います。気分ムラ、気持ちムラ、嫌になるんだけど、書くという行為がプラスなのは分かるんだ。だから書く。うん。
仕事をやめて静寂が訪れた。朝起きて、接客向けの人格を呼び起こす儀式の必要もなくなった。起きると、何も予定がないという日々。仕事をしていた時は一ヶ月の中で5日あるかないかだった予定の無い日が毎日に近くなった。子供と向き合える日々が増え、気持ちが充実していくのを感じた。でもこれは、今まで向き合えなかった時間があるからこそ感じられるありがたいものなのだと思う。だから、ワーキーングマザーを良く思わない昔ながらの考えの人に、あなたの子供、見てないとこで迷惑かけてるよ、お母さんが仕事してるからじゃない?なんて言葉を浴びせられたりもしたのだけれど、私は仕事と子育て、両立が出来るのだったらこれが一番良いのだと思う。家庭の経済的にも、母親の心の充実の為にも。
何にかんしても、一つの世界の中からしか物事を判断出来なくなるというのは怖い。狭い世界に閉じこもり、一方通行からしか物事を考えられなくなってしまうと子供を圧迫してしまう恐れがある。
子育て環境は視野の狭い世界、社会とはまた違う独特なルール、偏見に気づかないうちに毒されてしまうような危険のある環境に陥ってしまう事もあるのだ。(PTAとかPTAとか‥)
いずれ、子供も社会に出ていくのだから、一番密着している母親も今現在の社会を知っておいた方が良いと思う。
もう少ししたら、私もまたお仕事探すつもりです。子育てと両立出来るとこ。。何故子育てと両立したいかっていうと、子供の成長ってやっぱり宝で、日に日にめきめき変わっていくので、それを目に焼き付けたいっていうのがあるから。
何も無い日々、スケジュールに圧迫されない日々に自由と心の充実を感じながらも、コミュニケーションを通じて化学反応をおこし学びを得るというのをこなせていない自分に焦りもあります。自分の考えに閉じこもりがちになってくる自分を感じる。
別に1人で家に閉じこもっていてもあまり不自由を感じないけれど、昨日数人のお友達とお茶を飲みながら話して、笑って、伝えて、受け止めて、やっぱり得るものはあるんだなって思った。引きこもりもよいけど、1人じゃ人生に化学反応は起こせないのだと思う。
幼稚園や、学校に子供が入ると感じるのが、周りのママさん達の仕事のスキルやスペックの高さに本当に驚きます。もちろん、仕事ではなく非営利なのでボランティアに近いような状態で、さまざまな書類、議事録やらなにやらを仕上げていきます。幼稚園の卒業対策委員会なんて経験した時には、会社にも負けず劣らずな組織形成に驚きを隠せませんでした。もちろん賃金なんか発生しません。全ては子供の為という名目の元で、夕ご飯を作る暇もなく、追い込みの時には睡眠を削りながら書類を作り、イベント進行すべてをこなすんです。すべての幼稚園などがそうではありませんが‥。
こういった、働くスキルの高い人たちが、うまく子育てと両立して仕事が出来る社会になればいいなって本当に感じます。
あと、仕事辞めて気づいたというか、とっくに分かっていた事ですが
部屋の片付けは仕事理由ではないですね‥
相変わらずきたないまんま
ここは、仕事という理由ではなく、自分の心に確実にあるようです。。
時間の使い方なんだよなぁ
どうして外着を着たまま寝ちゃいけないの?
大人のいう、頭でっかちのしつけ理論なんて子供には押しつけでしかない。子供は、命を握られている人質のようなものである。育ててもらっている環境から突然追い出されてしまったら命の危険があるのだから。
子供は分けわからずとも、本能で親や学校の先生のいうことに自分なりに従おうとする。
私自身も、子供にああしなさい、こうしなさいと、しつけを行う時はその言葉の裏に「世間体」を感じとり、落ち込むがしばしばある。
脱いだものはぬぎっぱなし、ゴミは床にポイ、友達との約束も忘れてしまうといったあまりに目に余った行動にしびれをきらし、座らせ目を見てその事について話し合った。
どうしてだらしなくしちゃいけないの??
だらしなくしても、うちの子達は自分で困る様子が全くない。むしろ便利そうなのである。ちびまるこちゃんみたい。次の日学校で着ていく洋服のまま寝れたらそのまま学校にいけるのに、なんで寝間着に着替えるの?私も子供の頃そう思いました‥。教材もおき勉禁止なのに、いくらいっても置きっぱなし。忘れ物なくなるし、べんりだよ〜って朗らかに答えてくる。私も確かにそう思いました‥。なんで、こんな重たいもの毎日持って帰ってきて持ってくのかよって。
みなさんはこういった質問を子供からされたらなんて答えてるのでしょう。。きになりますね‥
私は、今日、かなり言葉を選びながらこの答えを選びました。
もし、将来1人ぐらしをするようになったら自分でなんでもやらないといけなくなるよね。お茶碗あらい、そうじ洗濯、準備全般色々、人に手伝って貰えるのが当たり前になりすぎちゃったら、1人でこなさなきゃいけなくなった時に困っちゃうんじゃないかな。別に今、掃除洗濯、身の回りの整理、手伝ってもらえれば困らないけど、今からやり方を学んでおけば、その状況になった時にすんなり出来るようになるんじゃないの??
中には一人暮らししても、栄養やおいしい食べ物に興味が無くてお菓子とかお腹いっぱいになるもの口に詰め込んで食事はオシマイ、何日も洗ってない洋服来てても困らないで生活してる人はいるけど、お母さんはあなたにそんな人生に無関心な人間にはなって欲しくないな。
正当なこと言ってるようで、でも、やっぱりこの子を社会に出した時に世間知らずの状態で行かせるよりも、多少の常識の範囲で知っててほしい。そんな世間様の目も気にしながら言っているのかもしれないって思ったりもする。
私の言葉は、子供を「一般常識」というものでガチガチに洗脳するものなのかもしれない。
私の親のように、親に恥をかかせないように。という意図が見え隠れするのかもしれない。
これを解決する方法としては、褒めたり怒ったりではなくて親が行動で見本をみせるしかないんだと思う。そこがまた問題で、私自身効率よく片付けるっていうのが本当に苦手なんだよね‥分かってはいるんだけどね。茶碗荒いの途中に突然違う事が気になって洗濯物干し始めちゃったり、またまた違う事したり。ぐるぐる回って何やってるのか分かんなくなっちゃったりする。
それもあるから、自分の子は小さいうちから、なんでもやらせて出来るようにさせてあげたいって思う。
任せるっていうのは、大変な事で、私はなかなか出来ず時間に追われているので自分でなんでもやってしまったりする。でも本当は、米研ぎなどもやりすぎて米がばらばらにちらばっても、見守りながらやらせてあげるべきなんだよね。
モンテッソーリの幼児教育 ママ,ひとりでするのを手伝ってね!
- 作者: 相良敦子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/06/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 8人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
仕事を覚えなきゃいけない時って、研修を立ち代わり入れ替わり、色んな人に教わったりもしたけど、教える技術、任せる技術が高い人は分かりやすいんだな〜ってすごく関心した覚えがあります。
「子供に魚を一匹与えれば一日は食べられる。しかし、魚のとり方を教えてあげれば一生食べられるようになる」
中国のことわざ「任せる技術」より
まかせられる技術もあるっていうことだよね。なんでも大人にやってもらったままだと、まかせられる事になれなくて辞めちゃったりする人もいるんだと思う。
ちなみに、うちの子達のどうしてシリーズ、吹き出してしまうようなものもあった。
低学年の時の話なんだけど、
書いてもいいのかな‥ププ。
短いチュニックの下にズボンを履かないでタイツだけはいて帰ってきた事があった。たまたま帰ってくる姿を目撃したんだけど、まるでわかめちゃんのような子がいるな〜ってよく見たらうちの子だった。どうしてズボンはいて帰ってこなかったのさ、って聞いたらタイツはいたし、パンツ見えないからいいと思った。ズボンめんどくさかったって。
体育のあとに、Tシャツの上に、下着のキャミソールを着て帰ってきたこともあった。その斬新なファッションに目を奪われた。
彼女いわく、困らないし、二枚きているのは間違いない。とのことらしい。
上履きを片方だけ手でぶらんぶらんさせて持って帰ってきて、なんで一足?もう片方は?ってきいたら、もう片方は来週洗うから大丈夫っていう。しかもオセロみたいになるからかっこいいって。斬新だな!その発想は褒めるべきか‥いやいや、まわりに合わせる事を教え込むべきなのか。。
低学年ではそんな事が多発して、面白いんだか心配なんだかよく分からない日々をすごしてきたんだけど、最近はやっぱり少しずつ普通の人間っぽくはなってきたとは思う。まだおかしいんじゃないか??と思う事は多々あるんだけど。
そんなオカシイ創造性に豊んだ部分も存分に伸ばしてあげたいとも切に思っています。
忘れっぽい娘の為に、大きめのホワイトボードを購入してみました。こなさなきゃいけない項目を書かせる習慣をつけられたら良いなと思いまして。それを伝えると、がんばるよ!って言ってくれてすごくご満悦で、ホワイトボードいっぱいに描き始めた約12歳‥
顔に十字傷ついてますけど‥
なんだかんだで、面白いのでこのままでもいーのかな、とおもっちゃったりもするのです。
いや、いかんいかん。
でも、笑顔が大事、楽しく過ごせる時間がなによりも子供の成長には繋がりますね。
それだけは確実なのだと実感する毎日なのでした。
夫との喧嘩のネタはいつも同じ
家族をネタに不幸でいられることが非常に腹がたつ
お前の人生そのままでいいのか?社畜のまま、家族と会社に人生捧げて終わるのか??
そんな気持ちが押さえられなくなった時に彼にぶつけてしまう気持ち。
夫婦だけど、彼の考えている本当の気持ちは読み切れない。彼も一緒。私の考えている事は分からない。
そしてお互い気持ちを伝えきれないでいる。毎日同じ家で暮らしている夫婦であっても。
夫は絵を描く人です。そんでずっと、本当は絵やデザインでやっていきたいって思っている気持ちがあります。でも、家族があるからあぶない橋は渡れないと、環境を変えるのを怖がります。
7、8年くらい前かな。彼の絵が結構評価されまして、ブランドからTシャツが出たり、雑誌に取り上げてもらったりって事があったんです。でも、それはラッキースケベ的な一時的なもので、後には続かなかった。生活のほとんどの時間を会社で費やし、絵を描けるじかんはほんのわずか。終電も最寄りの駅で停まるものではなく手前の車庫がある駅停まりの電車に乗って帰ってきて、一時間近く歩いて帰ってくるような社畜っぷりでした。
働くと、会社の中での責任も生じますし、みなが徹夜して床で寝ているような環境を背に自分だけ帰ってくるのは申し訳ないとその事を夫はずっと唱えていました。家族がいるのを理由に帰ってこれるだけましだとも言っていました。
でも、日に日に、見るからに廃人になっていくんです。それで、精神も落ち込んじゃってるんで、長生き出来ないみたいな事も言ったりするんです。
当たり前ですが、心配しますよね。
いいよ?別に他の会社考えたりしても、環境変えないと何も変わらないんじゃない?って提案してみても、家族がいるからすぐには出来ない。の繰り返し。
もし、今の環境より悪くなっちゃってもなるようにしかならないし、絵やデザインの仕事を自宅でするのだったら、私が本格的に働きに出るし、支えるし応援するよ。駄目だったら他の手うとうよって。私は毎回促すんですけど、
これって、彼の才能を信じているから言える事でもあって、嫉妬をしているからでもあるんです。
でも彼は頑に、その環境を10年近く自分から変えようとはしませんでした。残業代も当時は出なかったのに、それはもうロボットみたいに働きまくっていたわけです。今は会社の中で問題が起こったらしく、当時よりは徹夜や、ひと駅前の終電で帰ってくる事はなくなりましたが、今も10時11時頃にかえってくると非常にびっくりする感じです。具合わるいの??平気!?って。
今は、彼のやりたいようにやっているんだから、ほっとこって割り切っている部分がほとんどなんですけど、田舎に住んで農業やりたい、疲れたとか言うとなんかカチンときます。じゃあやろうよ、環境変えようよって。自分に自信持てよ!って。
それで、昨日も同じくだりの話になり、会社辞めて違う環境になりたいって彼が言っていて、じゃあ履歴書かいたり時間作ったりするとこから始めれば?って私が言って、でもまだすぐじゃないかな‥ってまた言っていて。
自分がいなくても大丈夫なような環境、システム作りをしないと会社は辞める事が出来ないって口にしていて、長くつとめると彼ありきの流れもあるようで。私は全く理解が出来なかった。やりがいのある仕事、恩がある場所に対してだったら理解が出来るんですけど、全く持ってそうでもないらしくて。
私は決して、彼に会社を辞めて欲しいのではなく、やりたい事をやれば??と単純に思うのです。
はたから見たら、やりたい事を犠牲にして家族の為に働いてくれている良い旦那さんなんですけどね‥。
周りにその話をしたりすると、責任感を感じている彼の行動も理解できると言われる事がほとんどで。社畜であっても、仕事をまっとうする彼の姿は素晴らしいと。。
普段、会社で働いている姿を見ていないので、もしかしたらそこで得られているもの、居心地の良い環境もあるのかもしれません。
家庭では、愚痴を言いたくなるだけかもしれません。
もっと時間があれば。。と。
私はただ、母のように受け止めてあげたらいいのかもしれない。大変な思いをして、働いてくれて、人生を捧げてくれてありがとう。そう言ってあげられたら、心の固まりを少し柔らかくすることができるかな?
そんなわけで、10年繰り返し、「人生楽しくないならやりたいことやんなよ」「それは社会的責任からできない」とこの会話→喧嘩をしています。いい加減飽きてきました。私もきっと、良くないんだろうな‥傷つけてしまうような言い方ばかりしてしまう。
反省してますよ。
そして、感謝もしていますよ‥
夫婦ってどこに向かうんでしょうね。
読者はかしこい
さいきん、読者はかしこいっていう記事を目にして、、
あー、そのとおりだな〜って思いました。
Yahoo!のトップページの記事読んでても、内容がうすい、充実してるのって頭よくない私でも感じる事ができますもん。
私はここでどんな記事を書いていくのかなってぼんやり考えました。
内容がとっても暗いから、暗いのはネタが暗いからしょうがないとして、もっとみなさんみたいにうまく伝えられるようなライティングが出来るようになりたい。
文章書くのって難しいですね。伝えるのって奥が深い。
ネットには沢山のブログ、文章が溢れているんだけれども、自分がブログ初めてみて書く事の難しさを実感ました。そして真面目に沢山のブログを読むようになって、本当に伝える力がある人の文章になんか心の芯を揺さぶられるような感覚も味わった。
ながらく子育てでヒーヒーいってたから、小説やら活字やらとは縁遠い生活をおくっていました。でも最近は時間をかけて集中して文章に向き合えるようになって良い時間を送れるようになったなって思います。
まだ書く時に、どう書いたら読んでくれるのかな〜とか環境優位の考えに陥ってしまって自分が何を書きたかったのか分からなくなってしまう事もあるんですけど‥。色々な方のブログの文章を通じて、その先やリアリティを感じ、自分もそんなブログスタイルを作り上げられたら。と思いました。
ここでは、自分の底の部分から素の文章を書くように訓練していきたいと思います。
始まりの憂鬱
明日から子供達は新学期になります。
今日は日中ずっとイライラ‥
明日から学校だっていうのに、宿題は終わってないし、今回は冬休みだからこれしか宿題出てないよ〜って言っていたのに、学校の支度を一緒に確認したらじゃんじゃん出てきたわけです。書き初めやらせようとしたら半紙なくしたとか、課題をやるためのプリントがないだとか。
だったら前もってもっと前段階で支度を一緒にやったら良いのにって思うのですが、ここが注意欠陥症候群の母のやらかしポイントで、子供の「宿題はこれとこれのみ」の自己申告に本当にそれだけだと思い込んでしまって、プリントを確かめたりそういった作業を後回しにしてしまうのです。だから、うちの子達の駄目だしを学校からされると半分以上は気づけなかった私のせいだとかなり落ち込みます。本当に駄目親です。鬱。。
うちのこ達は、学校や環境の上で出された課題に対して積極的に取り組んでこなそうっていう引き出しがいっさい無く、超マイペースでこの時間までにここまで終わらせるっていうのが凄い苦手。
上の娘は、私にあれやれ、これやれって言われるのが凄い嫌みたい。やらないくせに、超反抗してつっぱねる。
分かるよ‥おかあさんは分かってるんだよ。君たちの気持ちが。やりたくない気持ちも、やりたくない事をやらなきゃいけない気持ちも。
これだけ、心の中ではやりたくない事はやらなくてもいいんだ、やりたい事を全力でがんばれって思ってるのに、やっぱり親は言わざるをえないんですかね。
「学校は社会の縮小版、いまから与えられた課題を期間内に仕上げるっていう訓練をしてるんだよ。無くしたから、出来なかったから、やる意欲がなかったから提出しないっていうんじゃ社会人になった時にやっていけないの。だから与えられた課題は嫌でもこなしなさい。」
言ってて、自分で混乱しました。自由であれって思っているのに、一方ではルールに従えって言っている状況に。
子供が学校に入ってからずっとずっとこの壁にぶち当たるのです。すごくやりたいこと、夢があればそこに向かって努力することなんて雑作ないんでしょうが、そこまでモチベーションを上げられるような夢なんてまだ無いわけで。大半の子達が、学校や親に課せられた課題を期間内に仕上げていく、集団でコミュニケーションを学びながら大人になっていくわけです。
本当に休み中なーんもしないから、見かねた時にあれやれ、これやれって指示を与える事があるのですが、大人からの指示なんて子供にとっては面倒くさいだけであってやる気とは正反対の位置にあり、なんとなくふわ〜ってこなして、もう終わっていい?あと何分やればいい?って聞きまくられて、なんもやらない癖にやらせるとこれか。とイライラのループ地獄に陥るわけです。
成績がかんばしくないのは何とも思わないけど、何もしないっていうのはどうなんですかね。夢をもて!それに向かって努力しろって修造並みに訴える事もありますが、完全スルー状態です。大人になったら自分達でどうにかするようになるもんなのかな。
親がどこからどこまで穴埋めを手伝ってあげたらいいのかほんと悩みます。世の中のお父さん、子供がどこまで学校についていけてるのか課題はこなせてるのかの穴埋め作業、子育てに参加してお母さんを手伝ってあげてくださいね。本当助かると思いますよ。
怒らないでやる気の無い子に課題をこなさせるのは本当に厄介な案件です。。
誰か教えてください〜〜〜。やる気スイッチを押すコツを‥
みんな子供だったはずなのに、いつのまにか子供の気持ちを忘れてしまうんですよね。みんな迷いながら進んでいくわけで、何が正しいとかって判断しにくい問題なんだと思う。
冬休み中に、何かの記事で勉強が出来る親子がどういった子育てを行ってきたかのアンケートに、共有型の子育てをしたというのを目にしました。勉強や、生活などを子供に「やりなさい」となげっぱなしでおしまいというのでは無くて一緒に共有し習慣づけるという事なのでしょう。理想です。。
話題、ちょっと変わりますが、
準備が整っている人の所に 本当に自分がやりたい仕事はやってくる。
ある会社の社長さんがおっしゃっていた言葉ですが、準備ってそう考えると人生の必須項目かもしれないですね。学校では準備をする訓練をする所でもありますもんね。親は誰もが自分の子供が自由にやりたい事をやれるよう願っているものです。
学校=コミュニケーションを学ぶ場、将来やりたい仕事や夢のために準備を整える訓練をする場
そう思ったらこのイライラはちょっと何処かに収まりそうな気がする。
うん。
夫婦ってよくわからない。空気になるまでどれくらい‥
このあいだ、家族でスターウォーズを観に行ったんです。とても楽しみにしていたんですが、映像がすごいよく出来いて2Dで観たのに目がぐるんぐるん回っちゃって、周りを確認すると席から出口が遠く対角線上にひとつしか無い映画館でして、暗い、出れないかもしれない、密室というワードが頭をよぎった途端、軽いパニックになり過呼吸に。。
だんなさんをチラリと見ると、もう感動で泣いちゃってるわけですよ。スターウォーズの大ファンでして‥なので隣に座ってる娘に具合悪くなっちゃったから外に出るね、と耳打ちし、外に出て飲み物を飲みながらパニックが収まるのを待ちました。でもすぐに良くなったし、また妹と観に行こうと思っていたので特に残念な気持ちにもならず私は何も気にしていませんでした。家族には突然いなくなって席に帰らなかったので映画に集中出来たか申し訳なくはなりましたけど。
ここからが問題。帰宅後、だんなさんに猛烈に謝罪され地獄が始まったわけです。
「ごめんね、具合悪くなったのに、映画中断しないで見続けて‥オレ何やってたんだろう‥」といったふうに、私の顔見るたびにごめんの嵐。「いや、大丈夫だよ、こっちこそごめん」って軽く切り返していたんですけど、2日目夕方にとうとうかるくキレました。いや、キレたくはなかったんだけどね。あまりに謝り続けられると自分が悪いことしたような気持ちになっちゃったんです。具合悪くなってすいませんでしたね!みたいな。。
確かに以前の私だったら、どうして駄目な時に寄り添ってくれなかったのよ!!って言ったかもしれません。結婚したのだから、私の人生を背負ってくれて当たり前なんだと思い込んでいたんです。些細な事に気づいてくれなくてイライラを全面にぶつけまくっていた事もありました。
でも今は、そんな感覚あんまり無いんです。極端に言えば、本当に急病で救急車で運ばれるような事態になったとしても自分で全部なんとか処理出来るって思ってるんです。なるようにしかならないっていうか。夫婦だからって、どこからどこまでお互いのラインを踏み込むものなんですかね‥。
他人の事はコントロールする事は出来ません。だから人は支配をしようとするんでしょうね。
わたしたちは、他者の期待を満たすためにいきているのではありません。他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。
でも、何故他者の人生を生きてはいけないのでしょう。他者の為につくし、他者の人生を生きる人は沢山います。でも、どこかその人生で心が暗闇に覆われて行き先が分からなくなってしまうような事があればそれは改善すべき道なのかもしれません。共依存に気づき、自分の人生を取り戻すべきなんだと思います。
私は共依存に気づき、客観的にひも解くことを進んで取り組みました。今は喧嘩はほとんどしなくなりました。過度な期待もしなくなりました。がんばってほしいとは思ってますけどね。才能あるんだから‥
夫婦のあり方についてはまだ全然理解が出来ないっていうか、ふわふわしていますが、よく空気になるっていいますよね。。駄目な意味での空気じゃなくて、良い意味での空気がいいな。夫婦の事についてはまた、文献とか調べてくわしく調べてみたいです。
- 作者: K・Kajunsky,ichida
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2011/06/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 3人 クリック: 302回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
おとことおんなの思考が交差することなんてあるんですかね。
魂のカリキュラム
カウンセラーさんとお話をしている時にあまりの私の頑固な心に
随分と魂のカリキュラムを難しく設定して産まれてきたんだね
と言われた事がありました。
人は産まれてくる前に自分で、学びの目的カリキュラムを選んでくるんだそうです。本当なのかどうなのかは分からないけど、なんとなく思い当たる節があって。
子供の頃、自分は修行をするため、魂を磨くために現世に産まれてきたんだという感覚がありました。かなり小さい頃からです。前世でよっぽど悪いことしたんでしょうか。でも本当に自分で選んだプログラムなら、残さずこなすべきです。そう考えるとなんだか楽になった記憶があります。
自分の事を特別なんだ、と思っていた事もありました。周りのお友達の遊びを客観的に見ていたというか。常に外側から物事を考えている所がありました。その他大勢というか、普通の人生なんて送りたくない。これはスピリチュアルな感覚に違いない!と小さい頃の私は思っていたのですが、カウンセラーの先生にそれは違うよ!と、、
アドラー心理学で話題になった本、嫌われる勇気にもありますが、優越性の追求という普遍的な欲求がひとにはあります。人より特別であろうとする欲求のことです。子供にとっては最も身近な存在、親にとって良い特別な存在であろうとし、それが叶わないと悪い方向で特別であろうとします。どちらも目的は同じ、他者の注目を集め「普通」状態から脱し、「特別な存在」になること。
私は親からの期待に答えられるようなスペックは持ち合わせていなかったので、スピリチュアル的に特別なのだと思い込みをする事で精神の崩壊を止めたのかもしれません。
「普通であることの勇気」を持つ事ができたら世界の見え方はいっぺんすると書籍にもありますが、同じ事をカウンセラーさんからもいわれました。
私は特別良くも悪くもなく、普通の人間である。人はみな対等で同じ位置にいる。信用するしないの対象としてではなく、仲間としてみなし、信頼のうえで行動をする。もしかしたら、これが大きなカリキュラムのテーマとして組んで産まれてきたのかもしれない。まだまだ全て受け入れるのは難しいけれども。どうしても劣等感から抜け出せません。
そんなふうに、カリキュラム組んできたんだぁーってぼんやり認知するだけでも、自分にふりかかる数々の困難に立ち向かう心構えが出来るようになりました。ちなみに私にはスピリチュアルな能力は全くなく、至って普通の人間であり、密やかにがっかりしたのでした。。